往年のクライマー(元登攀倶楽部の会員)によるブログです。


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屏風

あのころは攀るだけのでした。ルート図さえあればどうでもよかったのです。
しかし、吉尾氏は早くも次の時代の懸念と予感。半世紀以上昔に。RCCⅡの初版本を入手以来、「日本の岩登りの歴史」にハマりました。興味のある方はお付き合いください。OCR変換なのでチェックはしておりますが誤植がありましたら堪忍&ご免でお許しを。

屏風岩 <吉尾 弘>
涸沢の行き帰りに見あげる屏風の偉容は、今ではすでに先駆者の昔から私たちの時代まで、クライマーの胸に変らないある種のおののきを感じさせる何かをもっている。かつては選ばれたるもののみに許されていた屏風の北壁、第一ルンゼ、第ニルンゼ、慶応稜、みな"新たな垂直の時代"の始まるまでは、岩登りを志ざす若者たちの最高の目標の一つだった。伊藤洋平氏による北壁の積雪期初登攀、その偉業がいかに後世のクライマー勇気づけたか、小川登喜男氏の第一ルンゼの登攀が、次の世代をいかに敬服させたか、みな屏風岩がもつそのなにものかによるためだった。
目本が敗戦を境として、絶対主義的天皇制国家から、まがりなりにも民主主義国に変貌しようとしていた時代、屏風中央カンテを初登肇した石岡繁雄先生と中学生たちの記録を知って、生活苦に追われて山どころではなかった登山愛好者たちはいかに元気づけられたろうか・・・。
屏風岩、ここには人間の可能性の限界、登攀能力の限界があるものと信じられていた。ゆえにアルピニズムに占めるその位置は大きく、岩登りに楽しみだけを求めるムード登山家の一群には、この壁は恐れられこそすれ決して好かれてはいなかった。
一九五〇年時代の後半に到ると、積雪期登攀が一般化されて、穂高の奥又、明神、あるいは一ノ倉沢にと、今まで考えられなかったような実践が傾注された。その波が当然屏風岩にも及び、北壁の第二登、中央カンテの積雪期初登攀、またこの中央カンテをアプローチとする奥又白のアタックというような連続登攀が、はやくも松本竜雄氏等によって実践されている。
一九六〇年代には、屏風中央壁、東壁、東稜、さらに東壁鵬翔ルート、緑ルート等、陸続と垂直のルートが開拓ざれた。まさに驚嘆すべき本邦クライミングの前進のいぶきが起ってきた。
だがある人は言った。屏風の東壁あたりに同じようなルートが何本も開かれるのはおかしいのではないか、と。またある人は、フリークライミングで行きづまったとき初めて人工ピッチが生まれるべきではないのか、と。さらにある人は、屏風岩、あれは崖登りでしかないのではないか、と。
しかし現実はどうなのか。アルピニズムの歴史から屏風の記録が抹殺できるのか。できるわけがない。本邦の数少ない岩の修練揚としても、北尾根の末端にあたるその位置から考えても・・・。
ある種の現代クライマーは、屏風岩こそ奥又に到るアプローチとして、さらに滝谷にはいるアプローチとして、己を鍛える道揚の一つとしているのだ。
より困難を追求する行為=実践クライミング、これこそアルピニズムを前進させる唯一の母胎に他ならない。やがていつの日にか屏風岩は、ヒマラヤにおける岩壁登高にそなえる科学的・力学的なトレーニングの場として、また機械クライミングの実験揚として、アルピニズムの歴史に・より大きな貢献をする日が必ずくるであろう。

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by touhanclub | 2016-01-07 02:29 | 仲村利彦の部屋 (B)