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カテゴリ:大柳典生の部屋( 7 )

大台ケ原山・大蛇嵓の登攀

岳人351(1976年9月号)
大台ケ原山・大蛇嵓の登攀
1972年5月の試登から1975年5月完登まで
登攀倶楽部(京都・大阪)

P3南壁正面
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はじめに
 大台ケ原山の東ノ川(うのかわ)上流には、大略して3つの岩壁群がある。その中で千石嵓(せんごくぐら)と蒸籠嵓(せいろぐら)は、以前から登攀対象となっていたが、大蛇嵓(だいじゃぐら)は最後まで残されていたようである。これはアプローチもやや遠く、一般コースにある展望台などからも人目に触れにくいことによると思われる。だが地形図を見ると、この周辺ではこの大蛇嵓が一番立派な岩壁記号で表されている。
 大蛇嵓とは、1578m峯から西に東ノ川へ落ち込む不動返し尾根を取り囲む岩壁群を総称しているのだが、特にその南面が大きな壁となっている。不動返し尾根は、下から順にP1~P7と名称がつけられており、P7が大蛇嵓展望台でクサリがもうけてあり、一般コースはここまでである。展望台から下は悪い所もあるが、踏跡をつたいノーザイルでP3付近まで下降できる。なお各ピークは明瞭ではなくわかりにくい。
 以下は私達のP3およびP4南壁の記録だが、私達もこの周辺の全貌を把握するまでにはいたっておらず、今まで実践した登攀の中間報告として発表したいと思う。
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偵察
 1972年5月21~22日
 パーティ=建部修三、下坂信夫、寺田優、渡辺悦男
 今まで千石嵓周辺しか知らなかったが、地形図を見ると、もっと素晴らしい壁が大蛇嵓にあると思われ、探索することになった。
 不動返し尾根P7(展望台)から中揚谷を下降し、東ノ川をへて不動返し尾根南面に突き上げる谷(名称不明のため便宜的に大蛇谷と仮称する)を登る。初めて見る大蛇嵓南面は、私達の想像していた以上で圧倒される。
 まず最初の登攀目標としてP3南壁を確認した後、そのまま大蛇谷をつめる。大蛇谷は上部で急峻になり、コケ付きのチムニー状のルンゼはとても登れず、右岸ブッシュ帯に入る。垂壁と垂壁の間のブッシュをつたい、苦労し不動返し尾根P4、5のコルに出て展望台に戻る。

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P3南壁正面第1回試登
 1972年11月5~7日
 渡辺悦男(単独)、雨のため15m試登したのみ。

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P3南壁正面第2回試登
 1973年10月26~28日
 パーティ=渡辺悦男、佐野彰
 アプローチは、展望台から不動返し尾根をP4、5のコルまで下り、コルから空中懸垂を含む6回の懸垂で大蛇谷に降り立ち、取付点にいたる。以後の登攀はほとんどこのアプローチを使う。今回も雨で2ビッチのルート工作をしたのみ。
 大蛇谷を下っていくと突然P3の垂壁が現れる
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P3南壁正面第3回試登
 1974年4月28日~5月5日
 バーティ=渡辺悦男、佐伯俊次、金京史
 5ビッチ目の途中までのルートエ作と周辺の偵察を行う。壁を完登できなかった場合、いったん東ノ川へ下り、中揚谷を登り返して駐車場へと戻るのだから大変である。

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P3南壁西稜完登
1974年7月27~29日
バーティ=渡辺悦男、山元善夫、荻野耕ニ
 P3南壁正面の開拓がはかどらないため、やさしそうな西稜からビークに立とうというのが今回の目的である。
 7月27日 不動返し尾根P4・5のコルから大蛇谷へ懸垂下降。P3南壁基部でビバーク。
 7月28日 前回の偵察にしたがい、南壁正面と下部岩壁の間のブッシュバンドを左にトラバースし、正面壁を回り込むようにしてブッシュ帯を上へ上へと登る。尾根上に出た所でアンザイレンする。左横にはルンゼが走っており右側の壁に取りつく。
 1ピッチ目、浮き右の多い悪いフェイスを40mでブッシュ帯に入る。2ピッチ目はブッシュを20mでピナクルに出る。3ピッチ目、ピナクル向かいの壁に残置ハーケンが1本ある。どうやら中揚谷側から私たちの登ったフェイスの左横のルンゼをたどってここへ出て来たらしく、ごく最近のことと思われる。私たちとしては初登攀と思っていただけに、ちょっと意外であった。
 残置ハーケンにアブミをセットしてピナクルから壁に移る。最初は悪いがすぐ傾斜もゆるくなり容易となる。40mで草付の広いテラスに立つ。ここからコンティニュアスで右にトラバースし、階段状の岩場を登ると南壁正面上部の大テラス(パルコニーと仮称)に出る。4ピッチ目、残置ハーケンとさらに少しハーケンを打ち加え、人工登攀で10m直上しスラブを右にトラバースしてブッシュ帯に入る。ブッシュ帯をコンティニュアスで60mほど登ると顕著なナイフエッジの岩稜に出る。その手前の広いテラスでビバークとする。
 7月29日 5ビッチ目、ナイフエッジの岩稜(岩稜というよりは南壁頂上に乗っかったひとつの大きな岩で烏帽子岩とでもいうべきもの)の右側は垂直に切れ落ち、左側はスラブとなっていて針金が張ってある。その左側のスラブをトラバースしてブッシュ帯に入り、登攀を終了する。しばらくヤブをこぐと踏跡が現れ、不動返し尾根をたどる。
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P3南壁正面第4回試登
 1974年11月9~12日
 パーティ=渡辺悦男、佐伯俊次、大柳典生
 今回も完登ならず6ビッチ目途中までのルート工作。
ルートは写真のスカイライン沿い
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P3南壁正面完登
 1975年8月26~29日
 バーティ=岡本昇、大柳典生
 8月26日 大台ケ原駐車場発6時。例の懸垂下隆ルートを使いP3南壁基部着は11時。この岩場へは少ない休暇を利用して、年に一度か二度来てはちょっぴりザイルを伸ばすだけ、そんな調子だったので第1回の試登からもう3年もかかっているというのに、まだ壁の半分しか登っていない。この壁の開拓に闘志を燃やしていた渡辺たちが今年はカラコルムヘ行って留守なのが残念だが、今度こそ登ってしまいたい。
 10リットル弱の水を荷上げすることにして、登攀開始13時半。1ビッチ目、ブッシュをつかんで一段上の左斜上バンドに上がり、最初から悪いフリーで右へと登る。ブッシュ混じりのフェイスを20mでバンド状テラスに立つ。セカンドは左斜上バンドから登って来る。2ピッチ目、右上のハーケンを使いブッシュ混じりの壁を登る。ブッシュを抜けた所のボルトにアブミを一回かけ、バンドを左斜上して垂壁下のビレイ点へ20m。3ピッチ目、垂壁を人工で直上するが、最後のハーケンからフリーに移る所が悪い。草付を登り白い壁下のテラスに出る。4ビッチ目は右のクラックに八ーケンが連打されており、これを人工で登る。クラック出口は岩がもろく神経を使う。フリーでハンモックテラスヘトラパースする所は手強く、重いザックを背負っていては苦しい。
 ハンモックテラスというのは試登の時、ここにハンモックを3つ張ってピバークしたところからこの名が付いたのである。私たち二人も、今日はここでハンモックビパークをする。
 8月27日 今日は登攀用具のみを持ち、7時半登攀開始。5ピッチ目、かぶり気味の垂壁をボルトに導かれて直上する。試登の時はこのピッチが一番間題で長い日数がかかった。というのも、大台ケ原の岩場全部がそうなのだが、極端に岩が堅いためボルト1本を埋めるのにも非常に時間がかかるのである。一つの穴を開けるのに、ジャンピングのキリを2本も折り、あげくのはてはその折れたキリが穴に詰まってしまい、また最初から開けなおすということもあった。この1ピッチは4人の人間が作っており、間隔が遠かったり近かったり、きっちりと埋めているかと思うとチップまる見えのボルトがあったりし、それぞれの個性があって楽しい。
 6ビッチ目、ハーケン連打の垂壁で快適な所であるが、前回のハーケンはかなり浮いており叩きなおしながら登る。前回の最高到達点からさらにハーケン、ボルトを連打してルートを伸ばす。ハング下に着き、高度感満点のアブミビレイ。
 トップを交代して7ビッチ目にかかる。2mほどのハングにボルトを打つのだが、穴開け作業になると、時間がかかるだけでいっこうにザイルが伸びない。いいかげんこの岩の堅さにはうんざりだ。17時、やっとこのハングを抜けたのでハンモックテラスに下降する。
 5ピッチ目のビレー点
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 6ピッチ目の登攀
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 6ピッチ目を見下ろす
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 7ピッチ目のハングにボルトを打つ
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 9ピッチ目を登る
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 8月28日 全装備を荷上げしながらハンモックテラスをあとにする。8時。7ピッチ目のハング上は浮き石が多く、トップはさかんに石を落とす。その石は一直線に取付点へと落ちて行き、この壁がいかに垂直であるかを示している。ハング上から左にトラバースし、木にまたがつてビレイ。8ピッチ目、さらに左へトラバースし、垂壁を八ーケン1本で越し右へと戻る。
 テラスに出た二人は狂喜する。上部は順斜の強いスラブだが、一本だけクラックが走っておりフリーで登れそうだからである。上部もボルトの世話になるだろうと諦めていただけにうれしい。
 9ピッチ目、クラックにそって40m直上する。最後のクラック出口は、ナッツを使用してテラスに立つ。10ピッチ目、階段状のやさしい岩場を登りバルコニーに出る。ここで西稜ルートと合流することになり、11ピッチ目最後のフェイスを登る。残置ハーケンに導かれてブッシュ帯に入り、ナイフエッジの岩稜手前でビバーク、18時。


 8月29日 今日も晴れである。大台ケ原に来て雨に降られなかったのは今回が初めてだ。ナイフエッジの岩稜をトラバースして登攀を終了する。
 ここから大蛇嵓展望台までは約2時間、疲れた私たちは、P4の登りにザイルとアブミを使う始末であった。
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P4南壁試登
 1975年9月14~15日
 パーティ=健部修三、松本正之
 3ピッチの試登を行う。

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P4南壁登攀
 1976年5月2~6日
 パーティ=大柳典生、宮形恒光
 P4南壁はP3南壁はど見映えはよくないが、スケールは大きい。次の目標として、P4南壁はワンプッシュで完登する意気込みで八ーケン25本、ボルト50本、そしてP3の経験からナッツを10数個という重装備である。だがそれとは裏腹に、車で来た私たちは登山靴をわすれるという失態をしでかして入山が一日おくれてしまう。
 P4南壁の上部三角形岩壁を見上げる
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 5月2日 不動返し尾根P4、5のコルから大蛇谷に懸垂下降。14リットルの水をポリタンクに詰め、登攀開始12時。1ピッチ目、沢床より階段状の凹角に取りつく。10m登ると大きく開けたルンゼ状スラブに出、容易に40mザイルを伸ばす。2ピッチ目も傾斜のゆるいスラブを登る。聞いていた話とは違い、非常にやさしい。どうも天候によるらしく、今日は岩が乾いておりやさしいが、いったん濡れるとかなり悪くなると思われる。
 3ピッチ目、ますます快適となるスラブにザイルを伸ばすのだが、荷上げが大変である。スラブではザイルを固定したあと、重いザックをかついでユマールで登りなおすしかない。4ピッチ目も快適なスラブ。
 ここからのルートは大凹角を登るのが一番自然だが、草付とコケで濡れており登る気がしない。左側の垂壁はすっきりしているものの、ボルト連打になりそうだ。結局一番容易と思われる垂壁と大凹角の間のブッシュバンドを登ることにする。
 5ピッチ目、ブッシュバンドにはイバラが密集していて二人とも悲鳴をあげながら登る。しかし、そのイバラが頼りになるホールドだからしかたなく、40mを登り終える頃には、苦痛が快楽?になるほどだ。スラブに出てボルトを打ちビレイ。6ピッチ目、スラブを10m登り再びブッシュに入る。
 雨が降り出したので下降する。5、6ピッチ目にザイルを固定したまま、左の垂壁下にトラバースしてツェルトをかぶる。
 P4南壁の取り付き点付近(バックはP3南壁)
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 ルンゼ状スラブを登る
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 ルンゼ状スラブは快適
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 荷上げのために下降する
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 5月3日 ここにいても濡れるだけなので、8時登攀開始。重いザックを背負い、ドシャ降りの雨の中を登る。6ピッチ目のスラブは雨に濡れて固定ザイルにすがっていても恐ろしい。7ピッチ目もブッシュバンドを登り、最後はクラックとなる。ナッツを3個使い人工で抜ける。8ピッチ目、ブッシュにアブミをかけたりしながら右へ右へと登る。ルンゼから左のブッシュ帯に入る。9ピッチ目、三角形岩壁の下を左へトラバース。壁の下は広いバンドになっており絶好のテラスもある。
 ここにツェルトを張っておいて三角形岩壁の試登をする。三角形岩壁は全体にかぶり気味で人工登攀の領域である。リスの少ない一枚岩だが、真ん中に右斜上するクラックが一本伸びており、ここにルートを取る。15時より2時間かけ、ポルト2本、八ーケン7本、ナッツ8個を使用して15mほど登る。ナッツをこれだけ使って人工登攀をするのは初めてで、ほとんとがワイヤーつきの小さなナッツのため恐ろしい。
 10ピッチ目のユマール登攀
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 5月4日 今日も雨、登攀開始8時半。昨日の最高点からさらに人工で登る。ボルトは3本使用したが、もっと多種類のナッツがあり、コンディションがよければボルトなしで登れるかもしれない。35mでバンドに出て10ピッチ目を区切る。セカンドはハーケン、ナッツをすぺて回取しながら後続する。11ピッチ目もナッツ連続使用でクラックを右斜上する。クラックの幅が広く、にぎりこぶし大の石をナッツがわりに使ったり、クリフハンガーを使用したりする。
 慣れないこともあって、トップにとってはナッツも意外に面倒で、クラックに合うナッツを探し出して、それに恐る恐る乗るのだから時間がかかる。そのかわり回収役のセカンドにとってはこれほど楽なものはない。11ピッチ目を20mほど伸ばして下降。
 11ピッチ目の右斜上クラック
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 5月5日 前日の最高点まで空中をユマール登攀する。小ハングにボルト1本を打ち、右のジェードルに向かつてナッツ、クリフハンガーを使用して、ハング下を右へとトラバースする。ナッツとUの字型八ーケンの不足で、トップも時々回収しながら登る。ボルト3本、ハーケン12本、ナッツ13個、そしてクリフハンガーを2~3回使用して40m登り、ハングにぶら下がったままアブミビレイする。セカンドも八ーケンとナッツを回収しながら登って来るので2時間近くかかる。二人がビレイ点にそろったのは15時を過ぎていた。
 ここから終了点のブッシュ帯までは40mしかないが、壁は雨で濡れており、ボルトを打たねばならないだろう。となるとあと一日で登れるかどうかあやしい。休みの都合で明日中に下山しなければならないし、食料も今夜で完全になくなってしまう。昨日まで完登できると信じていただけに非常にくやしいが、下降するしかないようだ。
 大いに未練を残して下降を開始する。下降もルートが斜めになっているのと、ハーケン、ナッツを回収しているので楽ではない。無事下降を終えて今日もご三角形岩壁下のテラスでビバークする。
 前日の最高点までユマール登攀
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 11ピッチ目の最高到達点から見下ろす
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 5月6日 三角形岩壁下のバンドをトラバースして、意外と簡単に不動返し尾根の踏跡までエスケープできた。ひさしぶりの太陽をあびながら、不動返し尾根を登る。
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あとがき
 東ノ川上流のその他の岩場については岳人239号と山と渓谷431号が参考になる。この周辺にはまだ未踏の壁も残されており、その気になればさらに何本ものルート開拓が可能である。
 今後も大台の岩場(ここに限ったことではないが)をより大切に登っていきたいと思う。

(文および作図・大柳典生)
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by touhanclub | 2016-01-20 12:19 | 大柳典生の部屋

甲斐駒ヶ岳・大武川~赤石沢~A・Bフランケ赤蜘蛛ルート~奥壁左ルンゼ

★甲斐駒ヶ岳・大武川~赤石沢~A・Bフランケ赤蜘蛛ルート~奥壁左ルンゼ
1975年12月11日-20日◇登攀倶楽部◇パーティ=青木寿、宇都宮行志、大柳典生

 11日、赤石沢下部からデポなしによる完登を目指して、大武川大堰堤手前から歩き始める。大武川は水量多く高巻きの連続で苦労し、赤石沢に入るまで2日を要する。
 13日、大滝は右岸壁を3Pで越し、さらに連続する滝を登りAフランケ基部の岩小屋へ。
 14日、8時発。岩小屋裏からハーケンを掘り出して登る。人工20米と雪壁を登り大凹角に取りつく。壁にほとんど雪がなくセカンド、ラストはアイゼンなし。恐竜カンテ上の大テラスでビバーク、16時。
 15日、7時半発。上部大垂壁からブッシュ帯を登り、Aフランケ頭の岩小屋でビバーク、15時半。
 16日、Bフランケ取付8時。1P目と第一バンド上のスラブは雪壁と化している。第二バンドに半雪洞を掘ってビバーク、17時。
 17日、8時発。Bフランケ最後の横断はボルトが抜けていて打ちなおすが、利いていずもう一本並べて打つ。11時、奥壁第一バンドに出て中央稜基部でビバーク。
 18日、7時半発。左ルンゼはF1右端より取り付くが最初から悪い。2P目はF1の氷壁を直登する。F2も悪く時間がかかる。F3を登り2.7バンドでビバーク、17時。
 19日、7時半発。F4を越し、ボロボロのチムニーを抜け中央稜に横断する。中央稜を3Pで黒戸尾根に出、甲斐駒頂上着、12時半。駒津峯、双子山を縦走し食糧、燃料切れの状態で大平小屋に逃げ込む、16時。
 20日、戸台へ下山する。好天にめぐまれ、A・Bフランケはハーケン、ボルトもふえており楽であった。3ルート中では左ルンゼのF1、F2が最も登りごたえがあった。
(「岳人」347号(1976年5月)記録速報より)

 赤石沢を登る
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 赤石沢の大滝
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 大滝の上
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Aフランケ
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 Aフランケの大凹角1ピッチ目
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 Aフランケの大凹角を登る
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 上部大垂壁を登る
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Bフランケ
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奥壁
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 奥壁左ルンゼに取り付く
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 奥壁左ルンゼF1
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 第2バンド
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 F2
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 F3
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 F4
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 甲斐駒ヶ岳の頂上にて
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 パートナーの青木氏(左)と宇都宮氏
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by touhanclub | 2016-01-18 01:48 | 大柳典生の部屋

黒部・奥鐘山西壁京都ルート登攀

黒部・奥鐘山西壁京都ルート登攀
「岳人」1977年2月号(356)より
大柳典生
1975年12月26日~1976年1月4日の記録から

〔はじめに〕
 今年の冬は、僕にしては珍しく早々と計画的に3つの山行を順序立てていた。それは12月の甲斐駒ケ岳、正月の奥鐘山、そして2月の唐沢岳である。これらはすぺて《ふもとから頂上へ》、《少人数による》、《ワンプッシュ戦法で》ということを一番大切に考えて計画した。これがあたりまえのことなのかもしれないが、ともすれば安易な方へと流されがちになるものだ。もちろんこの方法が絶対的に正しいとか、すぺての山に通用するなどとは思っていない。ただ確実にいえることは、これが僕には最も適しており、好きだということだ。
 12月中旬、3人パーティで大武川から赤石沢を忠実につめ、ダイヤモンドフランケA、Bから奥壁を登り、首尾よく甲斐駒ケ岳の頂上に立つことができた。12月末、計画どおり今度は二人だけで奥鐘山へ向かう。
 パートナーは、岡本昇(登攀倶楽部・大阪)である。


〔記録〕

12月26日(雪)  宇奈月発9時。暗くて狭い、そして長い長いトンネルの単調な歩行にうんざりして、今日は鐘釣温泉までとする、15時。


27日(雪)  8時発。今日も雪はしんしんと降っているが、トンネル内のため行動は順調である。欅平に着き、さっそく用意して来た徒渉用の服と運動靴に履き替える。左右からの雪崩を警戒しながら黒部川をたどるのだが、河原はラッセルさせられるので、いさぎよく水の中を進み岩小屋着、14時半。
 奥鐘山西壁はみごとなほど真っ白で、盛んに雪崩を落としている。正面壁はチリ雪崩程度でたいしたこともないが、紫岳会ルートの雪崩は大きく、そのあおりの雪が岩小屋の中にまで吹き込んで来る。ただし噂に聞いているブロックや氷柱が飛んで来ないだけましだといえる。
 各ハング帯には、カーテンのように氷柱が下がり、持に最終ハング帯の大氷柱は突破不可能にも見える。それにしても、これぽど氷雪をまとっているとは思ってもいなかった。この威圧的な大岩壁の下に二人だけでいることがなんとも心細い。


べっとりと雪を付け、ハングからはツララが下がっている
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28日(快晴)  対岸に渡るため、チロリアンブリッジ用の固定ロープを張り替えたりするのに時間を費やす。その作業中に清水RCCルートのスラブに降り積もった雪が、40m四方にわたって轟音とともに崩壊する。そして紫岳会ルートの雪崩がすぐ右に落下し、間にはさまれた二人をますます萎縮させる。京都ルートは大丈夫なのだろうか……。
 11時前、今日のトップを受け持つ岡本がスノーシャワーを浴びながら登攀を開始する。雪壁から最初の小ハングを越してみたが、その上のボルトが抜かれており退却し、今度は右から登る。新雪をベットリとつけたスラブは予想以上に悪い。2ピッチ目も同様で、ルートファインディングに苦労させられる。
 第一ハングの下に着きハンモックを吊る。半日しか行動していないが、初日から2ピッチのみ、この調子では先が思いやられる。いやそれ以上に正直いって、こんな所へ来てしまったことをちょっぴり後悔している。


第1ピッチ目の小ハング
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小ハングを越えてスラブを登る
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29日(晴れのち曇り)  今日のトップは僕である。トップは生身同然で、セカンドも比較的軽い。装備のほとんどは荷上げ用ザックに入れてあり、一ピッチごとに二人で引き上げることにしている。
 3ピッチ日、第一ハングは問題なく越す。4ピッチ目、傾斜の強い人工登攀のスラブにも雪と氷がつき、残置ボルトを捜し出すのに手間取る。5ピッチ目の第ニハングも氷のハングと化している。その氷を砕き一本、一本ボルトを掘り出すのは非常に時間がかかる。
 人工登攀主体の京都ルートなら、冬でも楽に登れるだろうと考えていたのは大きな間違いだった。アブミにぶらさがってピッケルを振り氷を落とすのは重労働で、その真下で確保している岡本にとっても、落ちて来る大量の氷片は落石といっしょである。あたりが暗くなるのと同時に6ビッチ目を終了して雪壁に出る。岡本はランプをつけて登って来る。
 雪壁にテラスを切り、ツェルトを被ると、雪が降り出した。最初はチリ雪崩程度だったので安心していると、突然轟音がして一瞬にして二人とも押しつぶされる。しばらく背中の上を雪崩が通過して行くのを感しる。テラスを深く掘り下げていたので流されはしなかったが、それでも安心して寝る状態ではなかった。


第1ハングを登る
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人工登攀のスラブを登る
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30日(曇りのち風雪)  岡本トップで雪壁から三角岩に取りつく。上のフリーの部分が悪く、この7ピッチ目に半日を費やす。この頃、志合谷から4人パーティが下降して来て、今まで二人だけでなんとなく重苦しかった空気が急に明るくなる。
 岡本は、一力月前に怪我をした足が調子悪いらしくトップを交代する。8ピッチ目は雪壁と氷壁で順調にザイルを伸ばす。9ピッチ目、右の垂壁にボルトが連打してあるが、夏の経験がない僕は、そのルートは近藤・高見ルートだと思い込み、間違って広島ルートの方へ行ってしまうところだった。京都ルートに戻り、夏と状態のかわらない垂壁を人工で登る。今日も岡本は夜間登攀となる。
 第三ハングでのハンモックビバークは、快適だろうと思っていたのだが、強烈な横風でツェルトはめくれ上がり吹きさらしである。コンロに火をつけることもできず、行動食を食べただけで寝てしまう。


 三角岩を登る
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31日(晴れ)
 第三ハングを越すと、またすぐにルートがわからなくなってしまう。限界的なフリーで登っていると、アイゼンのツァッケが雪の下のボルトを見つけたりする。
 ここから見る最終ハングの氷柱群は絶望的な感じで、特に広島ルートと京都ルートはとても登れそうにない。岡本も足が痛むらしく元気がないので、退却を打診してみる。ところが彼にはその気は全然なく、そこまで行ってみなければわからないだろうと、逆にハッパをかけられる。結局、続いて僕がトップをするということで登攀を再開する。今日も志合谷を2パーティほど下降して来る。明日は賑やかになるだろう。
 11ピッチ目は岩が露出しているが、ホールドが細かく一部は素手を出して登る。12ピッチ目はルート中最悪のピッチだった。第四ハング出口からいきなり氷壁登攀となる。残置ピトンは一本も発見できず、軟弱な氷をだましだまし、変則的なピオレトラクションで登る。何回か氷が割れて片足を滑らした時は、第四ハングを飛び越して落ちて行くのかと血の気が引く思いだった。
 今日で連続三日間の夜間行動となり、13ピッチ目にかかる。第五ハング下のボルトはすべて20センチ近い厚さの氷の下で、一本、一本掘り出して登る。ハング基部から右の小テラスに振り子トラバースし、ボルトを打つてハンモックを吊る。ハンモックに横になった時は零時を過ぎていた。


 第3ハングを登る
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1976年1月1日(快晴)
 夜間登攀の疲れや、下のスラブにたらしていたザイルが氷漬けになっていたりで、昼近くになってやっと出発する。間題の第五ハング出ロの大氷柱は、かかえきれない程の太さで、足で蹴ったりして叩き落とす。登攀不可能に見えた大氷柱もなんとかなりそうだ。氷柱と氷柱のすき間を広げて、溝状ハングの下にもぐり込む。直登は無理なので、氷柱の裏側を右にトラバースし、ピトンを一本打って再び外側に出、さらにトラバース。飛びつくようにしてブッシュをつかみ一気にはいあがる。続いて岡本も顔をほころばせながら登って来る。12時半、二入がブッシュ帯にそろい感無量である。
 荷上げをすませた後、荷物の整理をする。まだ先の長いことを考えると、少しでも荷を軽くしたいので、不用となった荷上げ用ザック、七ミリザイル、ピトンなどをここに残す。
 上部ブッシュ帯は、心配していたような技術的な問題はなく、ただしんどいだけだ。くさった雪にへきえきしながら、雪の上に出ている枝をつかみ、はいずるようにして一歩、一歩登る。ラッセルにあえぎながら6ピッチほど登っただろうか、二人ともフラフラになり、立ち木にハンモックを吊ってビバークする。


 第5ハング下のハンモッグビバーク
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 第5ハングを登る
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2日(曇り)  8時半出発。ここからはノーザイルで左へトラバースする。中央ルンゼを横切り、露岩を2ピッチで抜け岩稜に出る。夏は簡単な岩稜も、雪と氷が付くと結構悪くなり、右の氷結したルンゼを登る。頂上は間近いが、くさった雪にてこずり何度もラッセルを交代しながら登高を続ける。
 14時半、ついに頂上を足下にする。夏はブッシュに囲まれて視界のきかない頂上だが、今は360度の展望だ。はるかに唐松岳を望むことができる。いずれの日か、この奥鐘から不帰や鹿島槍へとルートをつなぐ猛者が現れるだろう。その時もデポ、サポートなしだとしたら素晴らしい記録だ。まだひとつの山行が終わらないうちに、こんな話を二人はしていた。
 頂上から北西尾根を1時間下降してビバーク。6日ぶりに大地に横になって寝られるのが無性にうれしい。



3日(晴れのち曇り) 8時発、北西尾根を忠実に下降し、名剣温泉のそばに降り立つ、12時。再び長いトンネルに入り鐘釣温泉まで下る。


4日(雨)  外は雨だが、例によってトンネル内は全天候で行動できる。今頃奥鐘を登っている他のパーティは、この雨の中でどうしているのだろうか。それにしても僕たちは、天候にはめぐまれていた。比較的低い気温で安定していたことが、大きな雪崩や落氷がなかった理由で、だからこそ長期間のねばりで成功することができたのだといえる。
 暗いトンネルを宇奈月に向かって歩きながら、すでに思い出となった奥鐘の登攀、そして次に予定している2月の唐沢岳幕岩冬季単独ルート開拓と、あきることを知らない登攀欲に頭をめぐらせていた。



(登攀倶楽部・大阪)
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by touhanclub | 2016-01-16 00:28 | 大柳典生の部屋

唐沢岳幕岩正面壁大ハング直上ルート登攀

「岳人」1975年3月号より

積雪期初登記録
唐沢岳幕岩正面壁大ハング直上ルート登攀
1974年3月21日~28日
大柳典生

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 1972年夏この直上ルートを開拓したとき、当初の目標は上部岩壁を二段ハングから抜けるというものであった。しかし日数の都合から二段ハングよりやや小さな右手のハング帯を登る結果になってしまった。そのため73年秋再び二段ハングヘ向かったが、私の大墜落によってザイルを破損してしまい、登攀をあきらめねばならなかった。
 そして今回の計画は6人が3組に分かれ、静岡登攀クラブルート、山嶺登高会ルート、登攀倶楽部ルート(直上ルート)をそれぞれ登攀し中央パンドで合流した後、全員で二段ハングの直登ルートを完成させる予定であった。壁に取りついた結果は静岡ルート、山嶺ルートの2組は中央パンドに到らないうちに敗退、また直上ルート組の私たちも中央パンドまでまる3日間を費やし、二段ハングのルート開拓はおろか、直上ルートを登るのが精一杯という状況だった。
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厳しい試練を克服

◇パーティ=青木寿、大柳典生

 3月21日、小雪の降る中を高瀬川ぞいの道からカラ沢に入り、軽いラッセルを続けて岩壁基部の大洞穴に入る。翌日は風雪のため停滞。

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 3月23日、すこし寝坊し登攀準備をととのえたときはかなり遅くなっていた。6人がそれぞれのルートヘむかう。直上ルートの1ピッチ目、私たちは本来なら登攀倶楽部ルートに取りつくぺきだが、清水RCCルートと登攀倶楽部ルートの中間に、どこかのパーティによって作られたらしい新ルートに取りつくことにする。というのは私たちのルートはハーケンが多く使用されているうえに、そのハーケン間隔が非常に遠い。それに比ぺこの新ルートはすぺてがボルトで、一定間隔のため登りやすそうに見えたからだ。とにかく3本のうちどのルートを登っても異なるのは1ピッチだけで、2ピッチ目からは3ルートとも合流してしまう。
 私(大柳)は空身になり、アイゼンを付けないで登り始める。一歩目からアブミに足を乗せると早くも体は宙を泳ぎ、2つ、3つとボルトに乗り移っていくに従って、壁から体が順次離れていく。そんな調子で20m登ると今度は逆に下りとなる。つまりオーバーハングの天井がたれ下っていて、壁の傾斜が180度以上あることになる。気の狂ったような個所を数m進むとやっとオーバーハングの出口に到達する。出口のハーケンは遠く、苦労して越えたあと、垂壁を10m登りスタンスに立つ。セカンドを上げる前に2人のザックを上げなければならない。これが各ピッチごとに繰り返されるのかと思うと気が滅入る。結局この1ピッチに4時間以上を費やしてしまう。
 次のピッチはスラブにボルトが連打されていて単調な人工登攀から、途中小ハングを越し25mで第一ハングに突き当たる。オーバーハングの下はキノコ雪状のものができていて、それを切り崩しボルトを探し出す。
 第一ハングは張り出しが約1m半でたいしたことはないが、その上の第一スラブ帯は氷雪をまといかなりの悪相になっていた。よく見ると驚いたことに、10m上からサングラスハングまで固定ザイルが張られている。冬に誰かが登ったのだろうか。
 まもなく日が暮れるため今日はここまでにし、第一ハングにザイルを固定してハング直下のボルトテラスまで下る。明るいうちにビバーク態勢に入る。コンロを乗せるキノコ雪のテラスもあり、ブラノコでのビバークとしては最高だ。

 3月24日、雪が降っているが行動を起こし、昨日の固定ザイルを使ってオーバーハングを乗り越す。ハングの上に出るとチリ雪崩をまともにかぶるようになり、スラプ帯のフリークライミングはきびしいものとなる。固定ザイルの所まで行けばなんとかなるだろうと思い、必死の思いでこの10mを勝ち取る。そして固定ザイルの末端を掴んだが、信用できるかどうか、試しに引っ張ってみる。そしてゆっくりと体重をかけてみる、大丈夫だ。そうと決まれば遠慮会釈なくザイルを掴み、アイゼンをガリガリいわせながら強引に登っていく。40m登り、サングラスハング左下のブッシュに到達する。夏はここにテラスがあるが今はただの雪壁になっている。固定ザイルはここからサングラスハングを避けて、左手のブッシュからサングラスハングの左目と右目の間にあるルンゼヘ続いているようだ。
 静岡ルートの2人が下降準備をしているのが見える。天候も悪いし、ルートがわからないため下降するとのこと。山嶺ルートパーティの姿は見えないがどうしたのだろうか。おそらく彼らのルートが一番悪いコンディションだろう。
 私たちは先に進むことにする。固定ザイルと分かれ雪壁を右上すると、サングラスハングの基部にそって幅2m、長さ10mほどの平な雪のテラスができている。このテラスのおかげでハング帯のボルトが3本ほど省略できる。このルートにも冬の利点がひとつはあったことになる。サングラスハングをボルトにぶらさがって登ると、広大な第ニスラブ帯があらわれる。ハングの出口から確保点のボルトまでは5mある。ここは夏でもスラブにフリクションをきかせて登る6級のフリークライミングであるが、アイゼンを付けた足では一歩も踏み出すことができない。しかたがない、6級をA1にすることにうしろめたさを感じながらもボルトを2本打ち加えて確保点に達する。
 次のピッチも同様で登り出すとすぐにつまってしまい、ボルトの助けを借りなければならない。そのボルトを支点に左へ振りこむが、またすぐに行きづまってしまう。結局この日は6ピッチ目を15mほど登っただけで、サンクラスハソグ下の雪のテラスヘ下る。
 こんな調子ではとうてい完登できそうにない。ルート開拓は中止、そして明日天候が悪くてもすぐ退却できるようにサングラスハングにザイルは固定しないことにする。私にはこの壁を登る資格があるのだろうか。先駆者がフリーで登った所にボルトを打たねば登れないなんて、たとえそれが夏とは異なるコンディションであったとしても、自分の未熟を認めて引き下がるべきなのか。そんな考えが私の頭をよぎる。

 3月25日、快晴だ。アイゼンをはずし素手になって再びスラブに挑む。昨日の最高到達点を越えバンドに出る。ここから雪が出てきてかえって悪くなるが、アイゼンはザックと一緒に下にあるのでそのまま進む。このあたりはハーケンが打てるので助かる。テラスに出る手前でザイルがいっぱいとなってしまい、セカンドに少し登ってもらいテラスに立つ。
 次のピッチはいささか気疲れした私にかわって青木がトップになる。ハーケンを打ち凹角を登るが、スラブの傾斜が強くなり行きづまる。右へ微妙なトラバースのあと、残置ハーケンで振子トラバースをして雪壁に逃げる。再び私がトップに立ち雪壁を左上する。雪壁は傾斜が弱くなり左へ横断し、45mで無雪期の大テラスに出ることができた。
 夏の初登時はダイレクトにスラブを登り中央バンドに出たが、氷と雪がスラブをおおい簡単には登れそうにない。夏ルートからそれて雪壁をさらに左へ横断してルンゼ状の凹角に入る。氷のつまった凹角にピッケルとアイスハンマーをきかせて登る。垂直になった所で左壁にハーケンを打ち乗り越す。やがて凹角のどんづまり、中央バンドの左端に達する。
 中央バンドは浮石が積み重なり夏ルートまでトラバースできないことがわかる。どうしよう、振子トラバースしか手がないようだ。このときだしぬけにあたりがうす暗くなる。もう迷っている間はない。この辺りにはビバークできる場所はない。止むを得ず大テラスまで退却だ。懸垂下降で雪壁に降り立ち、テラスを切り開きツェルトをかぶったときにはすでに真暗だった。今夜は確実な自己確保を取れないのでテラスからころげ落ちないよう注意しよう。

 3月26日、今日も完登の目途がたたぬまま出発する。ただこの晴天が続いてくれることだけが望みだ。凹角のどんづまりまで登りなおし、ブッシュにザイルをかけて15m下から振子トラバースを始める。スラブから草付を横断してやっと夏ルートにもどることができた。
 中央バンドからの取付は最初かぶりぎみのため白い枯木を使ってここを越える。小バンドへは左寄りに登るのだが、雪がベっとりついている。私はボルトを2本連打して、草付にピッケルとアイスハンマーの両ピックをぶちこんでダイレクトに小バンドにずり上がる。バンドからは垂壁をハーケンで越え、かなり強引なフリークライムで上部ハング帯基部の松の木テラスへ出る。荷上げをすませ二人そろったのは13時過ぎ、今日中にハング帯を抜けることは不可能だ。上には快適にビバークできるテラスはないだろう。時間は早いがここでビバークすることにする。私たちには休息が必要だし、明日は完登まちがいなしだ。

 3月27日、目がさめると雪がしんしんと降っている。私たちのいる所はオーバーハングの直下なので、夜のうちから降り出したのに気付かなかったのだろう。下に見えるスラブ帯も白一色に変わっていた。時々頭上のオーバーハング先端から雪崩が滝のように落下している。しかし完登を目前にした私たちにとってこんなことは問題ではない。
 上部大ハングは松の木から取りつき、正面の全体に大きくかぶったフェイスを登る。ボルトに導かれて15m直上すると4mほどの水平の天井だ。その入口と出口は半分しか入っていないアングルハーケンで、御世辞にも気持ちよいとはいえない。ハソグを抜けスラブに出ると30センチほど新雪が積もっている。雪をはらいのけながらハーケンを探し確保点に達する。荷上げ用ザイルは一度引き上げると再びそのザイルの末端をセカンドに渡すことが不可能なので、一個のザックは引き上げることができても、もう一つはセカンドがかついで登らねばならない。
 次は垂壁をブッシュとハーケンで乗り越すと最後のオーバーハングが待ちかまえている。このハングは見た目より大きいが、大ハングを抜けた安心感からこのハングの存在をみくびっていたようだ。アイゼンを付け重荷をかついだまま登り出し、悪戦苦闘を強いられ、ハングの上に出た時は絶望的になってしまった。スラブの上に厚く降り積もった雪をはらいのけても、ホールドはおろか残置ボルトもない。夏はフリクションで簡単に越えたはずだが、ひとまずボルトで確保点を作りセカンドに登ってきてもらう。
 空身になり最終ピッチに挑む。右のクラックにアイスハーケンを打つが3分の1しか入らない。そのハーケンの上に立ちボルトをうめる。そこからフリークライミングに移り、小垂壁を越えクラックぞいに直上する。スラブに積もった雪は不安定でいまにも流れそうだ。塹壕を掘るようにしてスラブにホールドを求める。進めば進むほど雪は深くなり腰までのラッセルになるが、終了点のブッシュまであと一息だ。
 突然目の前の雪面が動き出した。雪崩だと思った瞬間、雪の猛威は私の体をいとも簡単にはじき飛ばしてしまった。雪崩とともにころがり落ちながら「青木さん、落ちた!」と何度も叫ぶ。そして確保している青木の直前まで来たとき、ザイルがピーンと張り私は止まった。無傷だとわかると、くやしさが先に立ち、すぐさま登りなおす。
 荷上げに続いて青木も上がって来る。完登を喜ぶひまもなく、青木が安全な樹林帯に向かってルンゼ状の雪壁を横断して行く。20m横断して中間のリッジに立ったとき、またもや上部から雪崩が発生して二人の間を通過する。二人の間のザイルが引っぱられて引きずりこまれそうだ。さらに横断を続け40mで樹林帯へとどいた。続いて私も渡りきる。間一髪といった所で生きた心地がしない。
 ここからは樹林帯の中を右へ右へと横断し、さらにルンゼを一本渡る。そこからやや下った所で、倒木の下の雪を掘り下げてビバーク。

 3月28日、ビバーク地からしばらく下ってみて右稜の頭を行き過ぎたことに気付く。ルンゼを渡って戻ろうとしたとたん、雪面に亀裂が入りあわてて引き返す。仕方なく100mほど下で横断を試みる。無事ルンゼをわたることができ右稜の頭に出る。右稜を10回余りの懸垂下降の後、カラ沢に降り立った。
 降雪で深くなった沢をラッセルしながら、何度も振り返って幕岩に視線を移す。あの壁に5日問も頑張っていたとは信じられない。多くのハーケン、ボルトも打たなければならなかった(確保用も含めてハーケン、ボルトそれぞれ12本使用)。私は自分なりに一生懸命やったつもりだが…。とにかくすでに終わってしまった。


(追記)このルート中、破損した固定ザイル、サングラスハング下の無記名の食糧は当方で回収させてもらいました。
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(登攀倶楽部会員)
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by touhanclub | 2016-01-15 00:45 | 大柳典生の部屋

後立山・不帰二峯東壁三角形岩壁・関西クライマースクラブルート(KCCルート)

(「岳人」361号(1977年7月)記録速報より)

★後立山・不帰二峯東壁三角形岩壁・関西クライマースクラブルート(KCCルート)
1977年3月19~26日◇登攀倶楽部◇パーティ=渡辺悦男(京都)、大柳典生(大阪)

 下部三角形岩壁は、72年10月開拓のKCCルート。上部三角形は、76年8月のKCC第2ルートで、両ルートとも、冬季初登と思われるが、過去3回の敗退を重ね、4度目にしてやっと完登できたものである。
 19日、曇り。八方尾根丸山までとする。
 20日、晴れ。大量のデブリで埋まった唐松沢を横断し、独標ルンゼからKCCルートに取り付く、10時。2P、ハング下の大キノコ雪は、鋸で穴をあける。次の半ピッチにザイルを固定し、キノコ雪上でビバーク、16時半。
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 21日、晴れ、8時発。三段テラスはキノコ雪のため、右から大きく巻く。5P、核心部のハング帯を抜けると暗くなる。スラブ帯の堅雪壁をランプをつけて2P登り、大キノコ雪上でビバーク、19時半。
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 22日、曇り、9時発。20米の下降で夏ルートにもどり、最後の壁を抜け、9P目で雪稜に出る。雪稜を馬乗りになって、3Pで甲南のコルへ着く3時半。使用ピトンは登攀用9、確保用4、ボルトは登攀用1、確保用4。
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 23日、雪、停滞。
 24日、風雪。甲南ルンゼを雪崩を発生させながら下降。約2時間で取付き点を捜すが、発見できない。これ以上ルンゼにいるのも危険なため、あきらめて独標ルートから取りつく、8時半。3P目の垂壁からKCCルートに入る。岩質悪く、ピトンは利いていない。5P、キノコ雪が重なり、鋸を使用する。6P、雪稜に出てキノコ雪上でビバーク、17時半。使用ピトンは登攀用3、確保用1、ボルトは登攀用3(うち2本は回収)、確保用1。両ルートともピトンはすべて回収。
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 25日、風雪、9時半発。雪崩の危険があり、アンザイレンしたまま腰以上のラッセル、主稜線着、正午。ルートに迷いながら唐松山荘へ15時着。
 26日、風雪、八方尾根を下る。
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by touhanclub | 2016-01-14 01:04 | 大柳典生の部屋

赤沢山針峯槍沢側正面壁東京RCCルート-奥壁-槍ケ岳北鎌尾根

★赤沢山針峯槍沢側正面壁東京RCCルート-奥壁-槍ケ岳北鎌尾根
1976年12月4日~14日◇パーティ=吉松香代子、大柳典生(登攀倶楽部)

 6日、槍沢ロッジ発5時。前日のトレールを使い取付に7時半。鵬翔ルートに取りつき、2P雪壁を右に横断して大凹角に入る。大凹角は岩の露出している滝状の部分が悪い。6P目に大凹角を左に出て不明瞭なバンドを横断する。7、8Pと雪壁を登り、9Pカンテからバンド状テラスに着く。テラス前後のスラブはホールドは細かいが雪を付けていなかったので楽。右に横断し11PでP2の肩に出る。もろいリッジを登りP2の頭でビバーク、17時半。ルート中に打ったピトンは確保用に3本。

12月初旬なので、ほとんど雪を付けていないが、東京RCCルートは雪の着いたルンゼ部分が多い。
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 7日、9時発。奥壁のコルから右斜上し奥壁に入る。奥壁は雪壁とやさしい岩場を選んで登り、使用ピトンは確保用に2本。赤沢山頂上着12時。西岳小屋着14時。まもなく雪となり以後ここで3日間の停滞をする。
 11日、8時半発。東鎌尾根はラッセルに苦労し大槍ヒュッテまでしか進めず、軒下に半雪洞を掘る。
 
東鎌尾根を行く
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 12日、槍ケ岳頂上着10時半。北鎌尾根はクラストしており快適に下りP8てビバーク、16時。
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槍が岳頂上
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 13日、7時半発。これより再ぴラッセルて苦しめられることとなり千天出合まで下る、15時。
 
北鎌尾根を下る
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 14日、湯俣までラッセルさせられ4時間以上費やしてしまった。
(記・大柳典生)
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by touhanclub | 2016-01-13 02:07 | 大柳典生の部屋

穂高・屏風岩第ニルンゼ~中央カンテ下降~第一ルンゼ

★穂高・屏風岩第ニルンゼ~中央カンテ下降~第一ルンゼ
 1975年1月2日~4日◇パーティ=木下誠(骨と皮)、大柳典生(登攀倶楽部)

 2日、横尾発5時半。右岩壁下部の雪壁を登り展望台へ。好天なので右岩壁の計画を急遽変更してニルンゼに入る、9時。ルンゼの下部3分の2をしめる雪壁は状態よく、ノーザイルで高度をかせぐ。途中、残置ハーケンのある小滝も簡単に越す。チムニー状滝の下でアンザイレントップは空身で、狭いチムニーに詰まったきのこ雪を切り崩し残置ハーケンを掘り出す。人工で苦労しこのチムニーを抜けると雪壁になり洞穴内に入る。次は雪壁を登る。3P正面の壁は脆いので左の潅木まじりの雪壁を登る。40mで稜線に出る、13時。大休止の後中央カンテの下降開始15時。2PのクライムダウンでAフェイスの上に出る。そこから4回の懸垂をしてビバーク。

 3日、さらに懸垂5回て基部の雪壁に降り立つ。横尾まで下る。

 4日、中央力ンテを登ってきた寺井功(高稜会)と3人で一ルンゼに向かう。ビバーク用具は持たず3時半に横尾出発。一ルンゼに入り横断バンドのやや下でアンザイレン、6時。ヘッドランプの明りで雪壁を2P登る。次の核心部2Pもチムニー登りをすることもなく奥に詰まった氷を登る。氷雪壁はピックのカーブが有効で快適そのもの。最後のチムニーを越え屈曲点着7時半。ここからの雪壁はラッセルもあまりなく、ノーザイルてドンドン登る。上部に行くと日が当たり雪が腐り、岩峯の下で再ぴアンザイレンして雪壁を右に横断する。さらに潅木帯を1P登り稜線に出る、9時20分。最低コル経由で横尾着13時。両ルンゼとも絶好のコンディションにめぐまれ雪崩の不安なく快適な登攀を楽しめた。
(記・大柳典生)


 屏風岩右岩壁
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 右岩壁直下
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 第2ルンゼを登る
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 チムニー状滝を越える
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 屏風岩中央カンテを下る
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 第1ルンゼ屈曲点を抜ける
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 第1ルンゼ上部を登る
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 第1ルンゼ最奥部の雪壁を登る
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by touhanclub | 2016-01-12 17:14 | 大柳典生の部屋