往年のクライマー(元登攀倶楽部の会員)によるブログです。
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ガッシャブルムⅡ峰 追悼報告書(1976年登 攀倶楽部 カラコルム遠征隊)
ガッシャブルムⅡ峰 追悼報告書(1976年登 攀倶楽部 カラコルム遠征隊)
綴じしろを裁断する際、誤って文字の一部が欠けてしまいました。
深くお詫び申し上げます。
深くお詫び申し上げます。
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by touhanclub
| 2016-09-09 17:49
| 登攀倶楽部会報
六甲の岩場<兵庫県山岳連盟編>
六甲の岩場<兵庫県山岳連盟編>
当時、グレーディングガイドは画期的な書籍であり大変お世話になりました。
今回、公開を快諾頂きました西村氏はじめ兵庫県山岳連盟の皆様に感謝致します。
ところどころ書き込みがありますが、当時の雰囲気を味わって頂ければ幸いです。
1.この本は昭和41年11月20日(1966年)出版の本です。
2.本資料は古いため現在の状況とは異なっています。
3.参考にされる場合は、最新資料と比較検討して下さい。
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by touhanclub
| 2016-08-28 16:44
| 六甲の岩場
歴代会報と他遠征報告資料
歴代の登攀倶楽部会報です。これから登攀される方、詳細なルート図も載っています。参考にしてください。できればコメントもお願いします。
提供:加納義則氏・荒井寿大氏・木村智氏・中村重行氏・大柳典生氏・荻野耕二氏
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閲覧には頁の継ぎ目が隠れており、見にくい箇所が多々あります。
登攀倶楽部の先輩からお借りした貴重(少)な資料で、
乱暴には扱えません。ご了承ください。
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乱暴には扱えません。ご了承ください。
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by touhanclub
| 2016-01-21 22:56
| 登攀倶楽部会報
大台ケ原山・大蛇嵓の登攀
岳人351(1976年9月号)
大台ケ原山・大蛇嵓の登攀
1972年5月の試登から1975年5月完登まで
登攀倶楽部(京都・大阪)
P3南壁正面
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はじめに
大台ケ原山の東ノ川(うのかわ)上流には、大略して3つの岩壁群がある。その中で千石嵓(せんごくぐら)と蒸籠嵓(せいろぐら)は、以前から登攀対象となっていたが、大蛇嵓(だいじゃぐら)は最後まで残されていたようである。これはアプローチもやや遠く、一般コースにある展望台などからも人目に触れにくいことによると思われる。だが地形図を見ると、この周辺ではこの大蛇嵓が一番立派な岩壁記号で表されている。
大蛇嵓とは、1578m峯から西に東ノ川へ落ち込む不動返し尾根を取り囲む岩壁群を総称しているのだが、特にその南面が大きな壁となっている。不動返し尾根は、下から順にP1~P7と名称がつけられており、P7が大蛇嵓展望台でクサリがもうけてあり、一般コースはここまでである。展望台から下は悪い所もあるが、踏跡をつたいノーザイルでP3付近まで下降できる。なお各ピークは明瞭ではなくわかりにくい。
以下は私達のP3およびP4南壁の記録だが、私達もこの周辺の全貌を把握するまでにはいたっておらず、今まで実践した登攀の中間報告として発表したいと思う。
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偵察
1972年5月21~22日
パーティ=建部修三、下坂信夫、寺田優、渡辺悦男
今まで千石嵓周辺しか知らなかったが、地形図を見ると、もっと素晴らしい壁が大蛇嵓にあると思われ、探索することになった。
不動返し尾根P7(展望台)から中揚谷を下降し、東ノ川をへて不動返し尾根南面に突き上げる谷(名称不明のため便宜的に大蛇谷と仮称する)を登る。初めて見る大蛇嵓南面は、私達の想像していた以上で圧倒される。
まず最初の登攀目標としてP3南壁を確認した後、そのまま大蛇谷をつめる。大蛇谷は上部で急峻になり、コケ付きのチムニー状のルンゼはとても登れず、右岸ブッシュ帯に入る。垂壁と垂壁の間のブッシュをつたい、苦労し不動返し尾根P4、5のコルに出て展望台に戻る。
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P3南壁正面第1回試登
1972年11月5~7日
渡辺悦男(単独)、雨のため15m試登したのみ。
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P3南壁正面第2回試登
1973年10月26~28日
パーティ=渡辺悦男、佐野彰
アプローチは、展望台から不動返し尾根をP4、5のコルまで下り、コルから空中懸垂を含む6回の懸垂で大蛇谷に降り立ち、取付点にいたる。以後の登攀はほとんどこのアプローチを使う。今回も雨で2ビッチのルート工作をしたのみ。
大蛇谷を下っていくと突然P3の垂壁が現れる
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P3南壁正面第3回試登
1974年4月28日~5月5日
バーティ=渡辺悦男、佐伯俊次、金京史
5ビッチ目の途中までのルートエ作と周辺の偵察を行う。壁を完登できなかった場合、いったん東ノ川へ下り、中揚谷を登り返して駐車場へと戻るのだから大変である。
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P3南壁西稜完登
1974年7月27~29日
バーティ=渡辺悦男、山元善夫、荻野耕ニ
P3南壁正面の開拓がはかどらないため、やさしそうな西稜からビークに立とうというのが今回の目的である。
7月27日 不動返し尾根P4・5のコルから大蛇谷へ懸垂下降。P3南壁基部でビバーク。
7月28日 前回の偵察にしたがい、南壁正面と下部岩壁の間のブッシュバンドを左にトラバースし、正面壁を回り込むようにしてブッシュ帯を上へ上へと登る。尾根上に出た所でアンザイレンする。左横にはルンゼが走っており右側の壁に取りつく。
1ピッチ目、浮き右の多い悪いフェイスを40mでブッシュ帯に入る。2ピッチ目はブッシュを20mでピナクルに出る。3ピッチ目、ピナクル向かいの壁に残置ハーケンが1本ある。どうやら中揚谷側から私たちの登ったフェイスの左横のルンゼをたどってここへ出て来たらしく、ごく最近のことと思われる。私たちとしては初登攀と思っていただけに、ちょっと意外であった。
残置ハーケンにアブミをセットしてピナクルから壁に移る。最初は悪いがすぐ傾斜もゆるくなり容易となる。40mで草付の広いテラスに立つ。ここからコンティニュアスで右にトラバースし、階段状の岩場を登ると南壁正面上部の大テラス(パルコニーと仮称)に出る。4ピッチ目、残置ハーケンとさらに少しハーケンを打ち加え、人工登攀で10m直上しスラブを右にトラバースしてブッシュ帯に入る。ブッシュ帯をコンティニュアスで60mほど登ると顕著なナイフエッジの岩稜に出る。その手前の広いテラスでビバークとする。
7月29日 5ビッチ目、ナイフエッジの岩稜(岩稜というよりは南壁頂上に乗っかったひとつの大きな岩で烏帽子岩とでもいうべきもの)の右側は垂直に切れ落ち、左側はスラブとなっていて針金が張ってある。その左側のスラブをトラバースしてブッシュ帯に入り、登攀を終了する。しばらくヤブをこぐと踏跡が現れ、不動返し尾根をたどる。
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P3南壁正面第4回試登
1974年11月9~12日
パーティ=渡辺悦男、佐伯俊次、大柳典生
今回も完登ならず6ビッチ目途中までのルート工作。
ルートは写真のスカイライン沿い
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P3南壁正面完登
1975年8月26~29日
バーティ=岡本昇、大柳典生
8月26日 大台ケ原駐車場発6時。例の懸垂下隆ルートを使いP3南壁基部着は11時。この岩場へは少ない休暇を利用して、年に一度か二度来てはちょっぴりザイルを伸ばすだけ、そんな調子だったので第1回の試登からもう3年もかかっているというのに、まだ壁の半分しか登っていない。この壁の開拓に闘志を燃やしていた渡辺たちが今年はカラコルムヘ行って留守なのが残念だが、今度こそ登ってしまいたい。
10リットル弱の水を荷上げすることにして、登攀開始13時半。1ビッチ目、ブッシュをつかんで一段上の左斜上バンドに上がり、最初から悪いフリーで右へと登る。ブッシュ混じりのフェイスを20mでバンド状テラスに立つ。セカンドは左斜上バンドから登って来る。2ピッチ目、右上のハーケンを使いブッシュ混じりの壁を登る。ブッシュを抜けた所のボルトにアブミを一回かけ、バンドを左斜上して垂壁下のビレイ点へ20m。3ピッチ目、垂壁を人工で直上するが、最後のハーケンからフリーに移る所が悪い。草付を登り白い壁下のテラスに出る。4ビッチ目は右のクラックに八ーケンが連打されており、これを人工で登る。クラック出口は岩がもろく神経を使う。フリーでハンモックテラスヘトラパースする所は手強く、重いザックを背負っていては苦しい。
ハンモックテラスというのは試登の時、ここにハンモックを3つ張ってピバークしたところからこの名が付いたのである。私たち二人も、今日はここでハンモックビパークをする。
8月27日 今日は登攀用具のみを持ち、7時半登攀開始。5ピッチ目、かぶり気味の垂壁をボルトに導かれて直上する。試登の時はこのピッチが一番間題で長い日数がかかった。というのも、大台ケ原の岩場全部がそうなのだが、極端に岩が堅いためボルト1本を埋めるのにも非常に時間がかかるのである。一つの穴を開けるのに、ジャンピングのキリを2本も折り、あげくのはてはその折れたキリが穴に詰まってしまい、また最初から開けなおすということもあった。この1ピッチは4人の人間が作っており、間隔が遠かったり近かったり、きっちりと埋めているかと思うとチップまる見えのボルトがあったりし、それぞれの個性があって楽しい。
6ビッチ目、ハーケン連打の垂壁で快適な所であるが、前回のハーケンはかなり浮いており叩きなおしながら登る。前回の最高到達点からさらにハーケン、ボルトを連打してルートを伸ばす。ハング下に着き、高度感満点のアブミビレイ。
トップを交代して7ビッチ目にかかる。2mほどのハングにボルトを打つのだが、穴開け作業になると、時間がかかるだけでいっこうにザイルが伸びない。いいかげんこの岩の堅さにはうんざりだ。17時、やっとこのハングを抜けたのでハンモックテラスに下降する。
5ピッチ目のビレー点
6ピッチ目の登攀
6ピッチ目を見下ろす
7ピッチ目のハングにボルトを打つ
9ピッチ目を登る
8月28日 全装備を荷上げしながらハンモックテラスをあとにする。8時。7ピッチ目のハング上は浮き石が多く、トップはさかんに石を落とす。その石は一直線に取付点へと落ちて行き、この壁がいかに垂直であるかを示している。ハング上から左にトラバースし、木にまたがつてビレイ。8ピッチ目、さらに左へトラバースし、垂壁を八ーケン1本で越し右へと戻る。
テラスに出た二人は狂喜する。上部は順斜の強いスラブだが、一本だけクラックが走っておりフリーで登れそうだからである。上部もボルトの世話になるだろうと諦めていただけにうれしい。
9ピッチ目、クラックにそって40m直上する。最後のクラック出口は、ナッツを使用してテラスに立つ。10ピッチ目、階段状のやさしい岩場を登りバルコニーに出る。ここで西稜ルートと合流することになり、11ピッチ目最後のフェイスを登る。残置ハーケンに導かれてブッシュ帯に入り、ナイフエッジの岩稜手前でビバーク、18時。
8月29日 今日も晴れである。大台ケ原に来て雨に降られなかったのは今回が初めてだ。ナイフエッジの岩稜をトラバースして登攀を終了する。
ここから大蛇嵓展望台までは約2時間、疲れた私たちは、P4の登りにザイルとアブミを使う始末であった。
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P4南壁試登
1975年9月14~15日
パーティ=健部修三、松本正之
3ピッチの試登を行う。
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P4南壁登攀
1976年5月2~6日
パーティ=大柳典生、宮形恒光
P4南壁はP3南壁はど見映えはよくないが、スケールは大きい。次の目標として、P4南壁はワンプッシュで完登する意気込みで八ーケン25本、ボルト50本、そしてP3の経験からナッツを10数個という重装備である。だがそれとは裏腹に、車で来た私たちは登山靴をわすれるという失態をしでかして入山が一日おくれてしまう。
P4南壁の上部三角形岩壁を見上げる
5月2日 不動返し尾根P4、5のコルから大蛇谷に懸垂下降。14リットルの水をポリタンクに詰め、登攀開始12時。1ピッチ目、沢床より階段状の凹角に取りつく。10m登ると大きく開けたルンゼ状スラブに出、容易に40mザイルを伸ばす。2ピッチ目も傾斜のゆるいスラブを登る。聞いていた話とは違い、非常にやさしい。どうも天候によるらしく、今日は岩が乾いておりやさしいが、いったん濡れるとかなり悪くなると思われる。
3ピッチ目、ますます快適となるスラブにザイルを伸ばすのだが、荷上げが大変である。スラブではザイルを固定したあと、重いザックをかついでユマールで登りなおすしかない。4ピッチ目も快適なスラブ。
ここからのルートは大凹角を登るのが一番自然だが、草付とコケで濡れており登る気がしない。左側の垂壁はすっきりしているものの、ボルト連打になりそうだ。結局一番容易と思われる垂壁と大凹角の間のブッシュバンドを登ることにする。
5ピッチ目、ブッシュバンドにはイバラが密集していて二人とも悲鳴をあげながら登る。しかし、そのイバラが頼りになるホールドだからしかたなく、40mを登り終える頃には、苦痛が快楽?になるほどだ。スラブに出てボルトを打ちビレイ。6ピッチ目、スラブを10m登り再びブッシュに入る。
雨が降り出したので下降する。5、6ピッチ目にザイルを固定したまま、左の垂壁下にトラバースしてツェルトをかぶる。
P4南壁の取り付き点付近(バックはP3南壁)
ルンゼ状スラブを登る
ルンゼ状スラブは快適
荷上げのために下降する
5月3日 ここにいても濡れるだけなので、8時登攀開始。重いザックを背負い、ドシャ降りの雨の中を登る。6ピッチ目のスラブは雨に濡れて固定ザイルにすがっていても恐ろしい。7ピッチ目もブッシュバンドを登り、最後はクラックとなる。ナッツを3個使い人工で抜ける。8ピッチ目、ブッシュにアブミをかけたりしながら右へ右へと登る。ルンゼから左のブッシュ帯に入る。9ピッチ目、三角形岩壁の下を左へトラバース。壁の下は広いバンドになっており絶好のテラスもある。
ここにツェルトを張っておいて三角形岩壁の試登をする。三角形岩壁は全体にかぶり気味で人工登攀の領域である。リスの少ない一枚岩だが、真ん中に右斜上するクラックが一本伸びており、ここにルートを取る。15時より2時間かけ、ポルト2本、八ーケン7本、ナッツ8個を使用して15mほど登る。ナッツをこれだけ使って人工登攀をするのは初めてで、ほとんとがワイヤーつきの小さなナッツのため恐ろしい。
10ピッチ目のユマール登攀
5月4日 今日も雨、登攀開始8時半。昨日の最高点からさらに人工で登る。ボルトは3本使用したが、もっと多種類のナッツがあり、コンディションがよければボルトなしで登れるかもしれない。35mでバンドに出て10ピッチ目を区切る。セカンドはハーケン、ナッツをすぺて回取しながら後続する。11ピッチ目もナッツ連続使用でクラックを右斜上する。クラックの幅が広く、にぎりこぶし大の石をナッツがわりに使ったり、クリフハンガーを使用したりする。
慣れないこともあって、トップにとってはナッツも意外に面倒で、クラックに合うナッツを探し出して、それに恐る恐る乗るのだから時間がかかる。そのかわり回収役のセカンドにとってはこれほど楽なものはない。11ピッチ目を20mほど伸ばして下降。
11ピッチ目の右斜上クラック
5月5日 前日の最高点まで空中をユマール登攀する。小ハングにボルト1本を打ち、右のジェードルに向かつてナッツ、クリフハンガーを使用して、ハング下を右へとトラバースする。ナッツとUの字型八ーケンの不足で、トップも時々回収しながら登る。ボルト3本、ハーケン12本、ナッツ13個、そしてクリフハンガーを2~3回使用して40m登り、ハングにぶら下がったままアブミビレイする。セカンドも八ーケンとナッツを回収しながら登って来るので2時間近くかかる。二人がビレイ点にそろったのは15時を過ぎていた。
ここから終了点のブッシュ帯までは40mしかないが、壁は雨で濡れており、ボルトを打たねばならないだろう。となるとあと一日で登れるかどうかあやしい。休みの都合で明日中に下山しなければならないし、食料も今夜で完全になくなってしまう。昨日まで完登できると信じていただけに非常にくやしいが、下降するしかないようだ。
大いに未練を残して下降を開始する。下降もルートが斜めになっているのと、ハーケン、ナッツを回収しているので楽ではない。無事下降を終えて今日もご三角形岩壁下のテラスでビバークする。
前日の最高点までユマール登攀
11ピッチ目の最高到達点から見下ろす
5月6日 三角形岩壁下のバンドをトラバースして、意外と簡単に不動返し尾根の踏跡までエスケープできた。ひさしぶりの太陽をあびながら、不動返し尾根を登る。
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あとがき
東ノ川上流のその他の岩場については岳人239号と山と渓谷431号が参考になる。この周辺にはまだ未踏の壁も残されており、その気になればさらに何本ものルート開拓が可能である。
今後も大台の岩場(ここに限ったことではないが)をより大切に登っていきたいと思う。
(文および作図・大柳典生)
大台ケ原山・大蛇嵓の登攀
1972年5月の試登から1975年5月完登まで
登攀倶楽部(京都・大阪)
P3南壁正面
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はじめに
大台ケ原山の東ノ川(うのかわ)上流には、大略して3つの岩壁群がある。その中で千石嵓(せんごくぐら)と蒸籠嵓(せいろぐら)は、以前から登攀対象となっていたが、大蛇嵓(だいじゃぐら)は最後まで残されていたようである。これはアプローチもやや遠く、一般コースにある展望台などからも人目に触れにくいことによると思われる。だが地形図を見ると、この周辺ではこの大蛇嵓が一番立派な岩壁記号で表されている。
大蛇嵓とは、1578m峯から西に東ノ川へ落ち込む不動返し尾根を取り囲む岩壁群を総称しているのだが、特にその南面が大きな壁となっている。不動返し尾根は、下から順にP1~P7と名称がつけられており、P7が大蛇嵓展望台でクサリがもうけてあり、一般コースはここまでである。展望台から下は悪い所もあるが、踏跡をつたいノーザイルでP3付近まで下降できる。なお各ピークは明瞭ではなくわかりにくい。
以下は私達のP3およびP4南壁の記録だが、私達もこの周辺の全貌を把握するまでにはいたっておらず、今まで実践した登攀の中間報告として発表したいと思う。
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偵察
1972年5月21~22日
パーティ=建部修三、下坂信夫、寺田優、渡辺悦男
今まで千石嵓周辺しか知らなかったが、地形図を見ると、もっと素晴らしい壁が大蛇嵓にあると思われ、探索することになった。
不動返し尾根P7(展望台)から中揚谷を下降し、東ノ川をへて不動返し尾根南面に突き上げる谷(名称不明のため便宜的に大蛇谷と仮称する)を登る。初めて見る大蛇嵓南面は、私達の想像していた以上で圧倒される。
まず最初の登攀目標としてP3南壁を確認した後、そのまま大蛇谷をつめる。大蛇谷は上部で急峻になり、コケ付きのチムニー状のルンゼはとても登れず、右岸ブッシュ帯に入る。垂壁と垂壁の間のブッシュをつたい、苦労し不動返し尾根P4、5のコルに出て展望台に戻る。
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P3南壁正面第1回試登
1972年11月5~7日
渡辺悦男(単独)、雨のため15m試登したのみ。
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P3南壁正面第2回試登
1973年10月26~28日
パーティ=渡辺悦男、佐野彰
アプローチは、展望台から不動返し尾根をP4、5のコルまで下り、コルから空中懸垂を含む6回の懸垂で大蛇谷に降り立ち、取付点にいたる。以後の登攀はほとんどこのアプローチを使う。今回も雨で2ビッチのルート工作をしたのみ。
大蛇谷を下っていくと突然P3の垂壁が現れる
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P3南壁正面第3回試登
1974年4月28日~5月5日
バーティ=渡辺悦男、佐伯俊次、金京史
5ビッチ目の途中までのルートエ作と周辺の偵察を行う。壁を完登できなかった場合、いったん東ノ川へ下り、中揚谷を登り返して駐車場へと戻るのだから大変である。
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P3南壁西稜完登
1974年7月27~29日
バーティ=渡辺悦男、山元善夫、荻野耕ニ
P3南壁正面の開拓がはかどらないため、やさしそうな西稜からビークに立とうというのが今回の目的である。
7月27日 不動返し尾根P4・5のコルから大蛇谷へ懸垂下降。P3南壁基部でビバーク。
7月28日 前回の偵察にしたがい、南壁正面と下部岩壁の間のブッシュバンドを左にトラバースし、正面壁を回り込むようにしてブッシュ帯を上へ上へと登る。尾根上に出た所でアンザイレンする。左横にはルンゼが走っており右側の壁に取りつく。
1ピッチ目、浮き右の多い悪いフェイスを40mでブッシュ帯に入る。2ピッチ目はブッシュを20mでピナクルに出る。3ピッチ目、ピナクル向かいの壁に残置ハーケンが1本ある。どうやら中揚谷側から私たちの登ったフェイスの左横のルンゼをたどってここへ出て来たらしく、ごく最近のことと思われる。私たちとしては初登攀と思っていただけに、ちょっと意外であった。
残置ハーケンにアブミをセットしてピナクルから壁に移る。最初は悪いがすぐ傾斜もゆるくなり容易となる。40mで草付の広いテラスに立つ。ここからコンティニュアスで右にトラバースし、階段状の岩場を登ると南壁正面上部の大テラス(パルコニーと仮称)に出る。4ピッチ目、残置ハーケンとさらに少しハーケンを打ち加え、人工登攀で10m直上しスラブを右にトラバースしてブッシュ帯に入る。ブッシュ帯をコンティニュアスで60mほど登ると顕著なナイフエッジの岩稜に出る。その手前の広いテラスでビバークとする。
7月29日 5ビッチ目、ナイフエッジの岩稜(岩稜というよりは南壁頂上に乗っかったひとつの大きな岩で烏帽子岩とでもいうべきもの)の右側は垂直に切れ落ち、左側はスラブとなっていて針金が張ってある。その左側のスラブをトラバースしてブッシュ帯に入り、登攀を終了する。しばらくヤブをこぐと踏跡が現れ、不動返し尾根をたどる。
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P3南壁正面第4回試登
1974年11月9~12日
パーティ=渡辺悦男、佐伯俊次、大柳典生
今回も完登ならず6ビッチ目途中までのルート工作。
ルートは写真のスカイライン沿い
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P3南壁正面完登
1975年8月26~29日
バーティ=岡本昇、大柳典生
8月26日 大台ケ原駐車場発6時。例の懸垂下隆ルートを使いP3南壁基部着は11時。この岩場へは少ない休暇を利用して、年に一度か二度来てはちょっぴりザイルを伸ばすだけ、そんな調子だったので第1回の試登からもう3年もかかっているというのに、まだ壁の半分しか登っていない。この壁の開拓に闘志を燃やしていた渡辺たちが今年はカラコルムヘ行って留守なのが残念だが、今度こそ登ってしまいたい。
10リットル弱の水を荷上げすることにして、登攀開始13時半。1ビッチ目、ブッシュをつかんで一段上の左斜上バンドに上がり、最初から悪いフリーで右へと登る。ブッシュ混じりのフェイスを20mでバンド状テラスに立つ。セカンドは左斜上バンドから登って来る。2ピッチ目、右上のハーケンを使いブッシュ混じりの壁を登る。ブッシュを抜けた所のボルトにアブミを一回かけ、バンドを左斜上して垂壁下のビレイ点へ20m。3ピッチ目、垂壁を人工で直上するが、最後のハーケンからフリーに移る所が悪い。草付を登り白い壁下のテラスに出る。4ビッチ目は右のクラックに八ーケンが連打されており、これを人工で登る。クラック出口は岩がもろく神経を使う。フリーでハンモックテラスヘトラパースする所は手強く、重いザックを背負っていては苦しい。
ハンモックテラスというのは試登の時、ここにハンモックを3つ張ってピバークしたところからこの名が付いたのである。私たち二人も、今日はここでハンモックビパークをする。
8月27日 今日は登攀用具のみを持ち、7時半登攀開始。5ピッチ目、かぶり気味の垂壁をボルトに導かれて直上する。試登の時はこのピッチが一番間題で長い日数がかかった。というのも、大台ケ原の岩場全部がそうなのだが、極端に岩が堅いためボルト1本を埋めるのにも非常に時間がかかるのである。一つの穴を開けるのに、ジャンピングのキリを2本も折り、あげくのはてはその折れたキリが穴に詰まってしまい、また最初から開けなおすということもあった。この1ピッチは4人の人間が作っており、間隔が遠かったり近かったり、きっちりと埋めているかと思うとチップまる見えのボルトがあったりし、それぞれの個性があって楽しい。
6ビッチ目、ハーケン連打の垂壁で快適な所であるが、前回のハーケンはかなり浮いており叩きなおしながら登る。前回の最高到達点からさらにハーケン、ボルトを連打してルートを伸ばす。ハング下に着き、高度感満点のアブミビレイ。
トップを交代して7ビッチ目にかかる。2mほどのハングにボルトを打つのだが、穴開け作業になると、時間がかかるだけでいっこうにザイルが伸びない。いいかげんこの岩の堅さにはうんざりだ。17時、やっとこのハングを抜けたのでハンモックテラスに下降する。
5ピッチ目のビレー点
6ピッチ目の登攀
6ピッチ目を見下ろす
7ピッチ目のハングにボルトを打つ
9ピッチ目を登る
8月28日 全装備を荷上げしながらハンモックテラスをあとにする。8時。7ピッチ目のハング上は浮き石が多く、トップはさかんに石を落とす。その石は一直線に取付点へと落ちて行き、この壁がいかに垂直であるかを示している。ハング上から左にトラバースし、木にまたがつてビレイ。8ピッチ目、さらに左へトラバースし、垂壁を八ーケン1本で越し右へと戻る。
テラスに出た二人は狂喜する。上部は順斜の強いスラブだが、一本だけクラックが走っておりフリーで登れそうだからである。上部もボルトの世話になるだろうと諦めていただけにうれしい。
9ピッチ目、クラックにそって40m直上する。最後のクラック出口は、ナッツを使用してテラスに立つ。10ピッチ目、階段状のやさしい岩場を登りバルコニーに出る。ここで西稜ルートと合流することになり、11ピッチ目最後のフェイスを登る。残置ハーケンに導かれてブッシュ帯に入り、ナイフエッジの岩稜手前でビバーク、18時。
8月29日 今日も晴れである。大台ケ原に来て雨に降られなかったのは今回が初めてだ。ナイフエッジの岩稜をトラバースして登攀を終了する。
ここから大蛇嵓展望台までは約2時間、疲れた私たちは、P4の登りにザイルとアブミを使う始末であった。
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P4南壁試登
1975年9月14~15日
パーティ=健部修三、松本正之
3ピッチの試登を行う。
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P4南壁登攀
1976年5月2~6日
パーティ=大柳典生、宮形恒光
P4南壁はP3南壁はど見映えはよくないが、スケールは大きい。次の目標として、P4南壁はワンプッシュで完登する意気込みで八ーケン25本、ボルト50本、そしてP3の経験からナッツを10数個という重装備である。だがそれとは裏腹に、車で来た私たちは登山靴をわすれるという失態をしでかして入山が一日おくれてしまう。
P4南壁の上部三角形岩壁を見上げる
5月2日 不動返し尾根P4、5のコルから大蛇谷に懸垂下降。14リットルの水をポリタンクに詰め、登攀開始12時。1ピッチ目、沢床より階段状の凹角に取りつく。10m登ると大きく開けたルンゼ状スラブに出、容易に40mザイルを伸ばす。2ピッチ目も傾斜のゆるいスラブを登る。聞いていた話とは違い、非常にやさしい。どうも天候によるらしく、今日は岩が乾いておりやさしいが、いったん濡れるとかなり悪くなると思われる。
3ピッチ目、ますます快適となるスラブにザイルを伸ばすのだが、荷上げが大変である。スラブではザイルを固定したあと、重いザックをかついでユマールで登りなおすしかない。4ピッチ目も快適なスラブ。
ここからのルートは大凹角を登るのが一番自然だが、草付とコケで濡れており登る気がしない。左側の垂壁はすっきりしているものの、ボルト連打になりそうだ。結局一番容易と思われる垂壁と大凹角の間のブッシュバンドを登ることにする。
5ピッチ目、ブッシュバンドにはイバラが密集していて二人とも悲鳴をあげながら登る。しかし、そのイバラが頼りになるホールドだからしかたなく、40mを登り終える頃には、苦痛が快楽?になるほどだ。スラブに出てボルトを打ちビレイ。6ピッチ目、スラブを10m登り再びブッシュに入る。
雨が降り出したので下降する。5、6ピッチ目にザイルを固定したまま、左の垂壁下にトラバースしてツェルトをかぶる。
P4南壁の取り付き点付近(バックはP3南壁)
ルンゼ状スラブを登る
ルンゼ状スラブは快適
荷上げのために下降する
5月3日 ここにいても濡れるだけなので、8時登攀開始。重いザックを背負い、ドシャ降りの雨の中を登る。6ピッチ目のスラブは雨に濡れて固定ザイルにすがっていても恐ろしい。7ピッチ目もブッシュバンドを登り、最後はクラックとなる。ナッツを3個使い人工で抜ける。8ピッチ目、ブッシュにアブミをかけたりしながら右へ右へと登る。ルンゼから左のブッシュ帯に入る。9ピッチ目、三角形岩壁の下を左へトラバース。壁の下は広いバンドになっており絶好のテラスもある。
ここにツェルトを張っておいて三角形岩壁の試登をする。三角形岩壁は全体にかぶり気味で人工登攀の領域である。リスの少ない一枚岩だが、真ん中に右斜上するクラックが一本伸びており、ここにルートを取る。15時より2時間かけ、ポルト2本、八ーケン7本、ナッツ8個を使用して15mほど登る。ナッツをこれだけ使って人工登攀をするのは初めてで、ほとんとがワイヤーつきの小さなナッツのため恐ろしい。
10ピッチ目のユマール登攀
5月4日 今日も雨、登攀開始8時半。昨日の最高点からさらに人工で登る。ボルトは3本使用したが、もっと多種類のナッツがあり、コンディションがよければボルトなしで登れるかもしれない。35mでバンドに出て10ピッチ目を区切る。セカンドはハーケン、ナッツをすぺて回取しながら後続する。11ピッチ目もナッツ連続使用でクラックを右斜上する。クラックの幅が広く、にぎりこぶし大の石をナッツがわりに使ったり、クリフハンガーを使用したりする。
慣れないこともあって、トップにとってはナッツも意外に面倒で、クラックに合うナッツを探し出して、それに恐る恐る乗るのだから時間がかかる。そのかわり回収役のセカンドにとってはこれほど楽なものはない。11ピッチ目を20mほど伸ばして下降。
11ピッチ目の右斜上クラック
5月5日 前日の最高点まで空中をユマール登攀する。小ハングにボルト1本を打ち、右のジェードルに向かつてナッツ、クリフハンガーを使用して、ハング下を右へとトラバースする。ナッツとUの字型八ーケンの不足で、トップも時々回収しながら登る。ボルト3本、ハーケン12本、ナッツ13個、そしてクリフハンガーを2~3回使用して40m登り、ハングにぶら下がったままアブミビレイする。セカンドも八ーケンとナッツを回収しながら登って来るので2時間近くかかる。二人がビレイ点にそろったのは15時を過ぎていた。
ここから終了点のブッシュ帯までは40mしかないが、壁は雨で濡れており、ボルトを打たねばならないだろう。となるとあと一日で登れるかどうかあやしい。休みの都合で明日中に下山しなければならないし、食料も今夜で完全になくなってしまう。昨日まで完登できると信じていただけに非常にくやしいが、下降するしかないようだ。
大いに未練を残して下降を開始する。下降もルートが斜めになっているのと、ハーケン、ナッツを回収しているので楽ではない。無事下降を終えて今日もご三角形岩壁下のテラスでビバークする。
前日の最高点までユマール登攀
11ピッチ目の最高到達点から見下ろす
5月6日 三角形岩壁下のバンドをトラバースして、意外と簡単に不動返し尾根の踏跡までエスケープできた。ひさしぶりの太陽をあびながら、不動返し尾根を登る。
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あとがき
東ノ川上流のその他の岩場については岳人239号と山と渓谷431号が参考になる。この周辺にはまだ未踏の壁も残されており、その気になればさらに何本ものルート開拓が可能である。
今後も大台の岩場(ここに限ったことではないが)をより大切に登っていきたいと思う。
(文および作図・大柳典生)
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by touhanclub
| 2016-01-20 12:19
| 大柳典生の部屋
甲斐駒ヶ岳・大武川~赤石沢~A・Bフランケ赤蜘蛛ルート~奥壁左ルンゼ
★甲斐駒ヶ岳・大武川~赤石沢~A・Bフランケ赤蜘蛛ルート~奥壁左ルンゼ
1975年12月11日-20日◇登攀倶楽部◇パーティ=青木寿、宇都宮行志、大柳典生
11日、赤石沢下部からデポなしによる完登を目指して、大武川大堰堤手前から歩き始める。大武川は水量多く高巻きの連続で苦労し、赤石沢に入るまで2日を要する。
13日、大滝は右岸壁を3Pで越し、さらに連続する滝を登りAフランケ基部の岩小屋へ。
14日、8時発。岩小屋裏からハーケンを掘り出して登る。人工20米と雪壁を登り大凹角に取りつく。壁にほとんど雪がなくセカンド、ラストはアイゼンなし。恐竜カンテ上の大テラスでビバーク、16時。
15日、7時半発。上部大垂壁からブッシュ帯を登り、Aフランケ頭の岩小屋でビバーク、15時半。
16日、Bフランケ取付8時。1P目と第一バンド上のスラブは雪壁と化している。第二バンドに半雪洞を掘ってビバーク、17時。
17日、8時発。Bフランケ最後の横断はボルトが抜けていて打ちなおすが、利いていずもう一本並べて打つ。11時、奥壁第一バンドに出て中央稜基部でビバーク。
18日、7時半発。左ルンゼはF1右端より取り付くが最初から悪い。2P目はF1の氷壁を直登する。F2も悪く時間がかかる。F3を登り2.7バンドでビバーク、17時。
19日、7時半発。F4を越し、ボロボロのチムニーを抜け中央稜に横断する。中央稜を3Pで黒戸尾根に出、甲斐駒頂上着、12時半。駒津峯、双子山を縦走し食糧、燃料切れの状態で大平小屋に逃げ込む、16時。
20日、戸台へ下山する。好天にめぐまれ、A・Bフランケはハーケン、ボルトもふえており楽であった。3ルート中では左ルンゼのF1、F2が最も登りごたえがあった。
(「岳人」347号(1976年5月)記録速報より)
赤石沢を登る
赤石沢の大滝
大滝の上
Aフランケ
Aフランケの大凹角1ピッチ目
Aフランケの大凹角を登る
上部大垂壁を登る
Bフランケ
奥壁
奥壁左ルンゼに取り付く
奥壁左ルンゼF1
第2バンド
F2
F3
F4
甲斐駒ヶ岳の頂上にて
パートナーの青木氏(左)と宇都宮氏
1975年12月11日-20日◇登攀倶楽部◇パーティ=青木寿、宇都宮行志、大柳典生
11日、赤石沢下部からデポなしによる完登を目指して、大武川大堰堤手前から歩き始める。大武川は水量多く高巻きの連続で苦労し、赤石沢に入るまで2日を要する。
13日、大滝は右岸壁を3Pで越し、さらに連続する滝を登りAフランケ基部の岩小屋へ。
14日、8時発。岩小屋裏からハーケンを掘り出して登る。人工20米と雪壁を登り大凹角に取りつく。壁にほとんど雪がなくセカンド、ラストはアイゼンなし。恐竜カンテ上の大テラスでビバーク、16時。
15日、7時半発。上部大垂壁からブッシュ帯を登り、Aフランケ頭の岩小屋でビバーク、15時半。
16日、Bフランケ取付8時。1P目と第一バンド上のスラブは雪壁と化している。第二バンドに半雪洞を掘ってビバーク、17時。
17日、8時発。Bフランケ最後の横断はボルトが抜けていて打ちなおすが、利いていずもう一本並べて打つ。11時、奥壁第一バンドに出て中央稜基部でビバーク。
18日、7時半発。左ルンゼはF1右端より取り付くが最初から悪い。2P目はF1の氷壁を直登する。F2も悪く時間がかかる。F3を登り2.7バンドでビバーク、17時。
19日、7時半発。F4を越し、ボロボロのチムニーを抜け中央稜に横断する。中央稜を3Pで黒戸尾根に出、甲斐駒頂上着、12時半。駒津峯、双子山を縦走し食糧、燃料切れの状態で大平小屋に逃げ込む、16時。
20日、戸台へ下山する。好天にめぐまれ、A・Bフランケはハーケン、ボルトもふえており楽であった。3ルート中では左ルンゼのF1、F2が最も登りごたえがあった。
(「岳人」347号(1976年5月)記録速報より)
赤石沢を登る
赤石沢の大滝
大滝の上
Aフランケ
Aフランケの大凹角1ピッチ目
Aフランケの大凹角を登る
上部大垂壁を登る
Bフランケ
奥壁
奥壁左ルンゼに取り付く
奥壁左ルンゼF1
第2バンド
F2
F3
F4
甲斐駒ヶ岳の頂上にて
パートナーの青木氏(左)と宇都宮氏
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| 2016-01-18 01:48
| 大柳典生の部屋