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往年のクライマー(元登攀倶楽部の会員)によるブログです。


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黒部・奥鐘山西壁京都ルート登攀

黒部・奥鐘山西壁京都ルート登攀
「岳人」1977年2月号(356)より
大柳典生
1975年12月26日~1976年1月4日の記録から

〔はじめに〕
 今年の冬は、僕にしては珍しく早々と計画的に3つの山行を順序立てていた。それは12月の甲斐駒ケ岳、正月の奥鐘山、そして2月の唐沢岳である。これらはすぺて《ふもとから頂上へ》、《少人数による》、《ワンプッシュ戦法で》ということを一番大切に考えて計画した。これがあたりまえのことなのかもしれないが、ともすれば安易な方へと流されがちになるものだ。もちろんこの方法が絶対的に正しいとか、すぺての山に通用するなどとは思っていない。ただ確実にいえることは、これが僕には最も適しており、好きだということだ。
 12月中旬、3人パーティで大武川から赤石沢を忠実につめ、ダイヤモンドフランケA、Bから奥壁を登り、首尾よく甲斐駒ケ岳の頂上に立つことができた。12月末、計画どおり今度は二人だけで奥鐘山へ向かう。
 パートナーは、岡本昇(登攀倶楽部・大阪)である。


〔記録〕

12月26日(雪)  宇奈月発9時。暗くて狭い、そして長い長いトンネルの単調な歩行にうんざりして、今日は鐘釣温泉までとする、15時。


27日(雪)  8時発。今日も雪はしんしんと降っているが、トンネル内のため行動は順調である。欅平に着き、さっそく用意して来た徒渉用の服と運動靴に履き替える。左右からの雪崩を警戒しながら黒部川をたどるのだが、河原はラッセルさせられるので、いさぎよく水の中を進み岩小屋着、14時半。
 奥鐘山西壁はみごとなほど真っ白で、盛んに雪崩を落としている。正面壁はチリ雪崩程度でたいしたこともないが、紫岳会ルートの雪崩は大きく、そのあおりの雪が岩小屋の中にまで吹き込んで来る。ただし噂に聞いているブロックや氷柱が飛んで来ないだけましだといえる。
 各ハング帯には、カーテンのように氷柱が下がり、持に最終ハング帯の大氷柱は突破不可能にも見える。それにしても、これぽど氷雪をまとっているとは思ってもいなかった。この威圧的な大岩壁の下に二人だけでいることがなんとも心細い。


べっとりと雪を付け、ハングからはツララが下がっている
黒部・奥鐘山西壁京都ルート登攀_e0304295_021462.jpg




28日(快晴)  対岸に渡るため、チロリアンブリッジ用の固定ロープを張り替えたりするのに時間を費やす。その作業中に清水RCCルートのスラブに降り積もった雪が、40m四方にわたって轟音とともに崩壊する。そして紫岳会ルートの雪崩がすぐ右に落下し、間にはさまれた二人をますます萎縮させる。京都ルートは大丈夫なのだろうか……。
 11時前、今日のトップを受け持つ岡本がスノーシャワーを浴びながら登攀を開始する。雪壁から最初の小ハングを越してみたが、その上のボルトが抜かれており退却し、今度は右から登る。新雪をベットリとつけたスラブは予想以上に悪い。2ピッチ目も同様で、ルートファインディングに苦労させられる。
 第一ハングの下に着きハンモックを吊る。半日しか行動していないが、初日から2ピッチのみ、この調子では先が思いやられる。いやそれ以上に正直いって、こんな所へ来てしまったことをちょっぴり後悔している。


第1ピッチ目の小ハング
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小ハングを越えてスラブを登る
黒部・奥鐘山西壁京都ルート登攀_e0304295_0221642.jpg




29日(晴れのち曇り)  今日のトップは僕である。トップは生身同然で、セカンドも比較的軽い。装備のほとんどは荷上げ用ザックに入れてあり、一ピッチごとに二人で引き上げることにしている。
 3ピッチ日、第一ハングは問題なく越す。4ピッチ目、傾斜の強い人工登攀のスラブにも雪と氷がつき、残置ボルトを捜し出すのに手間取る。5ピッチ目の第ニハングも氷のハングと化している。その氷を砕き一本、一本ボルトを掘り出すのは非常に時間がかかる。
 人工登攀主体の京都ルートなら、冬でも楽に登れるだろうと考えていたのは大きな間違いだった。アブミにぶらさがってピッケルを振り氷を落とすのは重労働で、その真下で確保している岡本にとっても、落ちて来る大量の氷片は落石といっしょである。あたりが暗くなるのと同時に6ビッチ目を終了して雪壁に出る。岡本はランプをつけて登って来る。
 雪壁にテラスを切り、ツェルトを被ると、雪が降り出した。最初はチリ雪崩程度だったので安心していると、突然轟音がして一瞬にして二人とも押しつぶされる。しばらく背中の上を雪崩が通過して行くのを感しる。テラスを深く掘り下げていたので流されはしなかったが、それでも安心して寝る状態ではなかった。


第1ハングを登る
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人工登攀のスラブを登る
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30日(曇りのち風雪)  岡本トップで雪壁から三角岩に取りつく。上のフリーの部分が悪く、この7ピッチ目に半日を費やす。この頃、志合谷から4人パーティが下降して来て、今まで二人だけでなんとなく重苦しかった空気が急に明るくなる。
 岡本は、一力月前に怪我をした足が調子悪いらしくトップを交代する。8ピッチ目は雪壁と氷壁で順調にザイルを伸ばす。9ピッチ目、右の垂壁にボルトが連打してあるが、夏の経験がない僕は、そのルートは近藤・高見ルートだと思い込み、間違って広島ルートの方へ行ってしまうところだった。京都ルートに戻り、夏と状態のかわらない垂壁を人工で登る。今日も岡本は夜間登攀となる。
 第三ハングでのハンモックビバークは、快適だろうと思っていたのだが、強烈な横風でツェルトはめくれ上がり吹きさらしである。コンロに火をつけることもできず、行動食を食べただけで寝てしまう。


 三角岩を登る
黒部・奥鐘山西壁京都ルート登攀_e0304295_0232851.jpg




31日(晴れ)
 第三ハングを越すと、またすぐにルートがわからなくなってしまう。限界的なフリーで登っていると、アイゼンのツァッケが雪の下のボルトを見つけたりする。
 ここから見る最終ハングの氷柱群は絶望的な感じで、特に広島ルートと京都ルートはとても登れそうにない。岡本も足が痛むらしく元気がないので、退却を打診してみる。ところが彼にはその気は全然なく、そこまで行ってみなければわからないだろうと、逆にハッパをかけられる。結局、続いて僕がトップをするということで登攀を再開する。今日も志合谷を2パーティほど下降して来る。明日は賑やかになるだろう。
 11ピッチ目は岩が露出しているが、ホールドが細かく一部は素手を出して登る。12ピッチ目はルート中最悪のピッチだった。第四ハング出口からいきなり氷壁登攀となる。残置ピトンは一本も発見できず、軟弱な氷をだましだまし、変則的なピオレトラクションで登る。何回か氷が割れて片足を滑らした時は、第四ハングを飛び越して落ちて行くのかと血の気が引く思いだった。
 今日で連続三日間の夜間行動となり、13ピッチ目にかかる。第五ハング下のボルトはすべて20センチ近い厚さの氷の下で、一本、一本掘り出して登る。ハング基部から右の小テラスに振り子トラバースし、ボルトを打つてハンモックを吊る。ハンモックに横になった時は零時を過ぎていた。


 第3ハングを登る
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1976年1月1日(快晴)
 夜間登攀の疲れや、下のスラブにたらしていたザイルが氷漬けになっていたりで、昼近くになってやっと出発する。間題の第五ハング出ロの大氷柱は、かかえきれない程の太さで、足で蹴ったりして叩き落とす。登攀不可能に見えた大氷柱もなんとかなりそうだ。氷柱と氷柱のすき間を広げて、溝状ハングの下にもぐり込む。直登は無理なので、氷柱の裏側を右にトラバースし、ピトンを一本打って再び外側に出、さらにトラバース。飛びつくようにしてブッシュをつかみ一気にはいあがる。続いて岡本も顔をほころばせながら登って来る。12時半、二入がブッシュ帯にそろい感無量である。
 荷上げをすませた後、荷物の整理をする。まだ先の長いことを考えると、少しでも荷を軽くしたいので、不用となった荷上げ用ザック、七ミリザイル、ピトンなどをここに残す。
 上部ブッシュ帯は、心配していたような技術的な問題はなく、ただしんどいだけだ。くさった雪にへきえきしながら、雪の上に出ている枝をつかみ、はいずるようにして一歩、一歩登る。ラッセルにあえぎながら6ピッチほど登っただろうか、二人ともフラフラになり、立ち木にハンモックを吊ってビバークする。


 第5ハング下のハンモッグビバーク
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 第5ハングを登る
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2日(曇り)  8時半出発。ここからはノーザイルで左へトラバースする。中央ルンゼを横切り、露岩を2ピッチで抜け岩稜に出る。夏は簡単な岩稜も、雪と氷が付くと結構悪くなり、右の氷結したルンゼを登る。頂上は間近いが、くさった雪にてこずり何度もラッセルを交代しながら登高を続ける。
 14時半、ついに頂上を足下にする。夏はブッシュに囲まれて視界のきかない頂上だが、今は360度の展望だ。はるかに唐松岳を望むことができる。いずれの日か、この奥鐘から不帰や鹿島槍へとルートをつなぐ猛者が現れるだろう。その時もデポ、サポートなしだとしたら素晴らしい記録だ。まだひとつの山行が終わらないうちに、こんな話を二人はしていた。
 頂上から北西尾根を1時間下降してビバーク。6日ぶりに大地に横になって寝られるのが無性にうれしい。



3日(晴れのち曇り) 8時発、北西尾根を忠実に下降し、名剣温泉のそばに降り立つ、12時。再び長いトンネルに入り鐘釣温泉まで下る。


4日(雨)  外は雨だが、例によってトンネル内は全天候で行動できる。今頃奥鐘を登っている他のパーティは、この雨の中でどうしているのだろうか。それにしても僕たちは、天候にはめぐまれていた。比較的低い気温で安定していたことが、大きな雪崩や落氷がなかった理由で、だからこそ長期間のねばりで成功することができたのだといえる。
 暗いトンネルを宇奈月に向かって歩きながら、すでに思い出となった奥鐘の登攀、そして次に予定している2月の唐沢岳幕岩冬季単独ルート開拓と、あきることを知らない登攀欲に頭をめぐらせていた。



(登攀倶楽部・大阪)
by touhanclub | 2016-01-16 00:28 | 大柳典生の部屋