往年のクライマー(元登攀倶楽部の会員)によるブログです。
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唐沢岳幕岩正面壁大ハング直上ルート登攀
「岳人」1975年3月号より
積雪期初登記録
唐沢岳幕岩正面壁大ハング直上ルート登攀
1974年3月21日~28日
大柳典生
--------------------------------------------------------------------------------
1972年夏この直上ルートを開拓したとき、当初の目標は上部岩壁を二段ハングから抜けるというものであった。しかし日数の都合から二段ハングよりやや小さな右手のハング帯を登る結果になってしまった。そのため73年秋再び二段ハングヘ向かったが、私の大墜落によってザイルを破損してしまい、登攀をあきらめねばならなかった。
そして今回の計画は6人が3組に分かれ、静岡登攀クラブルート、山嶺登高会ルート、登攀倶楽部ルート(直上ルート)をそれぞれ登攀し中央パンドで合流した後、全員で二段ハングの直登ルートを完成させる予定であった。壁に取りついた結果は静岡ルート、山嶺ルートの2組は中央パンドに到らないうちに敗退、また直上ルート組の私たちも中央パンドまでまる3日間を費やし、二段ハングのルート開拓はおろか、直上ルートを登るのが精一杯という状況だった。
--------------------------------------------------------------------------------
厳しい試練を克服
◇パーティ=青木寿、大柳典生
3月21日、小雪の降る中を高瀬川ぞいの道からカラ沢に入り、軽いラッセルを続けて岩壁基部の大洞穴に入る。翌日は風雪のため停滞。
3月23日、すこし寝坊し登攀準備をととのえたときはかなり遅くなっていた。6人がそれぞれのルートヘむかう。直上ルートの1ピッチ目、私たちは本来なら登攀倶楽部ルートに取りつくぺきだが、清水RCCルートと登攀倶楽部ルートの中間に、どこかのパーティによって作られたらしい新ルートに取りつくことにする。というのは私たちのルートはハーケンが多く使用されているうえに、そのハーケン間隔が非常に遠い。それに比ぺこの新ルートはすぺてがボルトで、一定間隔のため登りやすそうに見えたからだ。とにかく3本のうちどのルートを登っても異なるのは1ピッチだけで、2ピッチ目からは3ルートとも合流してしまう。
私(大柳)は空身になり、アイゼンを付けないで登り始める。一歩目からアブミに足を乗せると早くも体は宙を泳ぎ、2つ、3つとボルトに乗り移っていくに従って、壁から体が順次離れていく。そんな調子で20m登ると今度は逆に下りとなる。つまりオーバーハングの天井がたれ下っていて、壁の傾斜が180度以上あることになる。気の狂ったような個所を数m進むとやっとオーバーハングの出口に到達する。出口のハーケンは遠く、苦労して越えたあと、垂壁を10m登りスタンスに立つ。セカンドを上げる前に2人のザックを上げなければならない。これが各ピッチごとに繰り返されるのかと思うと気が滅入る。結局この1ピッチに4時間以上を費やしてしまう。
次のピッチはスラブにボルトが連打されていて単調な人工登攀から、途中小ハングを越し25mで第一ハングに突き当たる。オーバーハングの下はキノコ雪状のものができていて、それを切り崩しボルトを探し出す。
第一ハングは張り出しが約1m半でたいしたことはないが、その上の第一スラブ帯は氷雪をまといかなりの悪相になっていた。よく見ると驚いたことに、10m上からサングラスハングまで固定ザイルが張られている。冬に誰かが登ったのだろうか。
まもなく日が暮れるため今日はここまでにし、第一ハングにザイルを固定してハング直下のボルトテラスまで下る。明るいうちにビバーク態勢に入る。コンロを乗せるキノコ雪のテラスもあり、ブラノコでのビバークとしては最高だ。
3月24日、雪が降っているが行動を起こし、昨日の固定ザイルを使ってオーバーハングを乗り越す。ハングの上に出るとチリ雪崩をまともにかぶるようになり、スラプ帯のフリークライミングはきびしいものとなる。固定ザイルの所まで行けばなんとかなるだろうと思い、必死の思いでこの10mを勝ち取る。そして固定ザイルの末端を掴んだが、信用できるかどうか、試しに引っ張ってみる。そしてゆっくりと体重をかけてみる、大丈夫だ。そうと決まれば遠慮会釈なくザイルを掴み、アイゼンをガリガリいわせながら強引に登っていく。40m登り、サングラスハング左下のブッシュに到達する。夏はここにテラスがあるが今はただの雪壁になっている。固定ザイルはここからサングラスハングを避けて、左手のブッシュからサングラスハングの左目と右目の間にあるルンゼヘ続いているようだ。
静岡ルートの2人が下降準備をしているのが見える。天候も悪いし、ルートがわからないため下降するとのこと。山嶺ルートパーティの姿は見えないがどうしたのだろうか。おそらく彼らのルートが一番悪いコンディションだろう。
私たちは先に進むことにする。固定ザイルと分かれ雪壁を右上すると、サングラスハングの基部にそって幅2m、長さ10mほどの平な雪のテラスができている。このテラスのおかげでハング帯のボルトが3本ほど省略できる。このルートにも冬の利点がひとつはあったことになる。サングラスハングをボルトにぶらさがって登ると、広大な第ニスラブ帯があらわれる。ハングの出口から確保点のボルトまでは5mある。ここは夏でもスラブにフリクションをきかせて登る6級のフリークライミングであるが、アイゼンを付けた足では一歩も踏み出すことができない。しかたがない、6級をA1にすることにうしろめたさを感じながらもボルトを2本打ち加えて確保点に達する。
次のピッチも同様で登り出すとすぐにつまってしまい、ボルトの助けを借りなければならない。そのボルトを支点に左へ振りこむが、またすぐに行きづまってしまう。結局この日は6ピッチ目を15mほど登っただけで、サンクラスハソグ下の雪のテラスヘ下る。
こんな調子ではとうてい完登できそうにない。ルート開拓は中止、そして明日天候が悪くてもすぐ退却できるようにサングラスハングにザイルは固定しないことにする。私にはこの壁を登る資格があるのだろうか。先駆者がフリーで登った所にボルトを打たねば登れないなんて、たとえそれが夏とは異なるコンディションであったとしても、自分の未熟を認めて引き下がるべきなのか。そんな考えが私の頭をよぎる。
3月25日、快晴だ。アイゼンをはずし素手になって再びスラブに挑む。昨日の最高到達点を越えバンドに出る。ここから雪が出てきてかえって悪くなるが、アイゼンはザックと一緒に下にあるのでそのまま進む。このあたりはハーケンが打てるので助かる。テラスに出る手前でザイルがいっぱいとなってしまい、セカンドに少し登ってもらいテラスに立つ。
次のピッチはいささか気疲れした私にかわって青木がトップになる。ハーケンを打ち凹角を登るが、スラブの傾斜が強くなり行きづまる。右へ微妙なトラバースのあと、残置ハーケンで振子トラバースをして雪壁に逃げる。再び私がトップに立ち雪壁を左上する。雪壁は傾斜が弱くなり左へ横断し、45mで無雪期の大テラスに出ることができた。
夏の初登時はダイレクトにスラブを登り中央バンドに出たが、氷と雪がスラブをおおい簡単には登れそうにない。夏ルートからそれて雪壁をさらに左へ横断してルンゼ状の凹角に入る。氷のつまった凹角にピッケルとアイスハンマーをきかせて登る。垂直になった所で左壁にハーケンを打ち乗り越す。やがて凹角のどんづまり、中央バンドの左端に達する。
中央バンドは浮石が積み重なり夏ルートまでトラバースできないことがわかる。どうしよう、振子トラバースしか手がないようだ。このときだしぬけにあたりがうす暗くなる。もう迷っている間はない。この辺りにはビバークできる場所はない。止むを得ず大テラスまで退却だ。懸垂下降で雪壁に降り立ち、テラスを切り開きツェルトをかぶったときにはすでに真暗だった。今夜は確実な自己確保を取れないのでテラスからころげ落ちないよう注意しよう。
3月26日、今日も完登の目途がたたぬまま出発する。ただこの晴天が続いてくれることだけが望みだ。凹角のどんづまりまで登りなおし、ブッシュにザイルをかけて15m下から振子トラバースを始める。スラブから草付を横断してやっと夏ルートにもどることができた。
中央バンドからの取付は最初かぶりぎみのため白い枯木を使ってここを越える。小バンドへは左寄りに登るのだが、雪がベっとりついている。私はボルトを2本連打して、草付にピッケルとアイスハンマーの両ピックをぶちこんでダイレクトに小バンドにずり上がる。バンドからは垂壁をハーケンで越え、かなり強引なフリークライムで上部ハング帯基部の松の木テラスへ出る。荷上げをすませ二人そろったのは13時過ぎ、今日中にハング帯を抜けることは不可能だ。上には快適にビバークできるテラスはないだろう。時間は早いがここでビバークすることにする。私たちには休息が必要だし、明日は完登まちがいなしだ。
3月27日、目がさめると雪がしんしんと降っている。私たちのいる所はオーバーハングの直下なので、夜のうちから降り出したのに気付かなかったのだろう。下に見えるスラブ帯も白一色に変わっていた。時々頭上のオーバーハング先端から雪崩が滝のように落下している。しかし完登を目前にした私たちにとってこんなことは問題ではない。
上部大ハングは松の木から取りつき、正面の全体に大きくかぶったフェイスを登る。ボルトに導かれて15m直上すると4mほどの水平の天井だ。その入口と出口は半分しか入っていないアングルハーケンで、御世辞にも気持ちよいとはいえない。ハソグを抜けスラブに出ると30センチほど新雪が積もっている。雪をはらいのけながらハーケンを探し確保点に達する。荷上げ用ザイルは一度引き上げると再びそのザイルの末端をセカンドに渡すことが不可能なので、一個のザックは引き上げることができても、もう一つはセカンドがかついで登らねばならない。
次は垂壁をブッシュとハーケンで乗り越すと最後のオーバーハングが待ちかまえている。このハングは見た目より大きいが、大ハングを抜けた安心感からこのハングの存在をみくびっていたようだ。アイゼンを付け重荷をかついだまま登り出し、悪戦苦闘を強いられ、ハングの上に出た時は絶望的になってしまった。スラブの上に厚く降り積もった雪をはらいのけても、ホールドはおろか残置ボルトもない。夏はフリクションで簡単に越えたはずだが、ひとまずボルトで確保点を作りセカンドに登ってきてもらう。
空身になり最終ピッチに挑む。右のクラックにアイスハーケンを打つが3分の1しか入らない。そのハーケンの上に立ちボルトをうめる。そこからフリークライミングに移り、小垂壁を越えクラックぞいに直上する。スラブに積もった雪は不安定でいまにも流れそうだ。塹壕を掘るようにしてスラブにホールドを求める。進めば進むほど雪は深くなり腰までのラッセルになるが、終了点のブッシュまであと一息だ。
突然目の前の雪面が動き出した。雪崩だと思った瞬間、雪の猛威は私の体をいとも簡単にはじき飛ばしてしまった。雪崩とともにころがり落ちながら「青木さん、落ちた!」と何度も叫ぶ。そして確保している青木の直前まで来たとき、ザイルがピーンと張り私は止まった。無傷だとわかると、くやしさが先に立ち、すぐさま登りなおす。
荷上げに続いて青木も上がって来る。完登を喜ぶひまもなく、青木が安全な樹林帯に向かってルンゼ状の雪壁を横断して行く。20m横断して中間のリッジに立ったとき、またもや上部から雪崩が発生して二人の間を通過する。二人の間のザイルが引っぱられて引きずりこまれそうだ。さらに横断を続け40mで樹林帯へとどいた。続いて私も渡りきる。間一髪といった所で生きた心地がしない。
ここからは樹林帯の中を右へ右へと横断し、さらにルンゼを一本渡る。そこからやや下った所で、倒木の下の雪を掘り下げてビバーク。
3月28日、ビバーク地からしばらく下ってみて右稜の頭を行き過ぎたことに気付く。ルンゼを渡って戻ろうとしたとたん、雪面に亀裂が入りあわてて引き返す。仕方なく100mほど下で横断を試みる。無事ルンゼをわたることができ右稜の頭に出る。右稜を10回余りの懸垂下降の後、カラ沢に降り立った。
降雪で深くなった沢をラッセルしながら、何度も振り返って幕岩に視線を移す。あの壁に5日問も頑張っていたとは信じられない。多くのハーケン、ボルトも打たなければならなかった(確保用も含めてハーケン、ボルトそれぞれ12本使用)。私は自分なりに一生懸命やったつもりだが…。とにかくすでに終わってしまった。
(追記)このルート中、破損した固定ザイル、サングラスハング下の無記名の食糧は当方で回収させてもらいました。
(登攀倶楽部会員)
積雪期初登記録
唐沢岳幕岩正面壁大ハング直上ルート登攀
1974年3月21日~28日
大柳典生
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1972年夏この直上ルートを開拓したとき、当初の目標は上部岩壁を二段ハングから抜けるというものであった。しかし日数の都合から二段ハングよりやや小さな右手のハング帯を登る結果になってしまった。そのため73年秋再び二段ハングヘ向かったが、私の大墜落によってザイルを破損してしまい、登攀をあきらめねばならなかった。
そして今回の計画は6人が3組に分かれ、静岡登攀クラブルート、山嶺登高会ルート、登攀倶楽部ルート(直上ルート)をそれぞれ登攀し中央パンドで合流した後、全員で二段ハングの直登ルートを完成させる予定であった。壁に取りついた結果は静岡ルート、山嶺ルートの2組は中央パンドに到らないうちに敗退、また直上ルート組の私たちも中央パンドまでまる3日間を費やし、二段ハングのルート開拓はおろか、直上ルートを登るのが精一杯という状況だった。
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厳しい試練を克服
◇パーティ=青木寿、大柳典生
3月21日、小雪の降る中を高瀬川ぞいの道からカラ沢に入り、軽いラッセルを続けて岩壁基部の大洞穴に入る。翌日は風雪のため停滞。
3月23日、すこし寝坊し登攀準備をととのえたときはかなり遅くなっていた。6人がそれぞれのルートヘむかう。直上ルートの1ピッチ目、私たちは本来なら登攀倶楽部ルートに取りつくぺきだが、清水RCCルートと登攀倶楽部ルートの中間に、どこかのパーティによって作られたらしい新ルートに取りつくことにする。というのは私たちのルートはハーケンが多く使用されているうえに、そのハーケン間隔が非常に遠い。それに比ぺこの新ルートはすぺてがボルトで、一定間隔のため登りやすそうに見えたからだ。とにかく3本のうちどのルートを登っても異なるのは1ピッチだけで、2ピッチ目からは3ルートとも合流してしまう。
私(大柳)は空身になり、アイゼンを付けないで登り始める。一歩目からアブミに足を乗せると早くも体は宙を泳ぎ、2つ、3つとボルトに乗り移っていくに従って、壁から体が順次離れていく。そんな調子で20m登ると今度は逆に下りとなる。つまりオーバーハングの天井がたれ下っていて、壁の傾斜が180度以上あることになる。気の狂ったような個所を数m進むとやっとオーバーハングの出口に到達する。出口のハーケンは遠く、苦労して越えたあと、垂壁を10m登りスタンスに立つ。セカンドを上げる前に2人のザックを上げなければならない。これが各ピッチごとに繰り返されるのかと思うと気が滅入る。結局この1ピッチに4時間以上を費やしてしまう。
次のピッチはスラブにボルトが連打されていて単調な人工登攀から、途中小ハングを越し25mで第一ハングに突き当たる。オーバーハングの下はキノコ雪状のものができていて、それを切り崩しボルトを探し出す。
第一ハングは張り出しが約1m半でたいしたことはないが、その上の第一スラブ帯は氷雪をまといかなりの悪相になっていた。よく見ると驚いたことに、10m上からサングラスハングまで固定ザイルが張られている。冬に誰かが登ったのだろうか。
まもなく日が暮れるため今日はここまでにし、第一ハングにザイルを固定してハング直下のボルトテラスまで下る。明るいうちにビバーク態勢に入る。コンロを乗せるキノコ雪のテラスもあり、ブラノコでのビバークとしては最高だ。
3月24日、雪が降っているが行動を起こし、昨日の固定ザイルを使ってオーバーハングを乗り越す。ハングの上に出るとチリ雪崩をまともにかぶるようになり、スラプ帯のフリークライミングはきびしいものとなる。固定ザイルの所まで行けばなんとかなるだろうと思い、必死の思いでこの10mを勝ち取る。そして固定ザイルの末端を掴んだが、信用できるかどうか、試しに引っ張ってみる。そしてゆっくりと体重をかけてみる、大丈夫だ。そうと決まれば遠慮会釈なくザイルを掴み、アイゼンをガリガリいわせながら強引に登っていく。40m登り、サングラスハング左下のブッシュに到達する。夏はここにテラスがあるが今はただの雪壁になっている。固定ザイルはここからサングラスハングを避けて、左手のブッシュからサングラスハングの左目と右目の間にあるルンゼヘ続いているようだ。
静岡ルートの2人が下降準備をしているのが見える。天候も悪いし、ルートがわからないため下降するとのこと。山嶺ルートパーティの姿は見えないがどうしたのだろうか。おそらく彼らのルートが一番悪いコンディションだろう。
私たちは先に進むことにする。固定ザイルと分かれ雪壁を右上すると、サングラスハングの基部にそって幅2m、長さ10mほどの平な雪のテラスができている。このテラスのおかげでハング帯のボルトが3本ほど省略できる。このルートにも冬の利点がひとつはあったことになる。サングラスハングをボルトにぶらさがって登ると、広大な第ニスラブ帯があらわれる。ハングの出口から確保点のボルトまでは5mある。ここは夏でもスラブにフリクションをきかせて登る6級のフリークライミングであるが、アイゼンを付けた足では一歩も踏み出すことができない。しかたがない、6級をA1にすることにうしろめたさを感じながらもボルトを2本打ち加えて確保点に達する。
次のピッチも同様で登り出すとすぐにつまってしまい、ボルトの助けを借りなければならない。そのボルトを支点に左へ振りこむが、またすぐに行きづまってしまう。結局この日は6ピッチ目を15mほど登っただけで、サンクラスハソグ下の雪のテラスヘ下る。
こんな調子ではとうてい完登できそうにない。ルート開拓は中止、そして明日天候が悪くてもすぐ退却できるようにサングラスハングにザイルは固定しないことにする。私にはこの壁を登る資格があるのだろうか。先駆者がフリーで登った所にボルトを打たねば登れないなんて、たとえそれが夏とは異なるコンディションであったとしても、自分の未熟を認めて引き下がるべきなのか。そんな考えが私の頭をよぎる。
3月25日、快晴だ。アイゼンをはずし素手になって再びスラブに挑む。昨日の最高到達点を越えバンドに出る。ここから雪が出てきてかえって悪くなるが、アイゼンはザックと一緒に下にあるのでそのまま進む。このあたりはハーケンが打てるので助かる。テラスに出る手前でザイルがいっぱいとなってしまい、セカンドに少し登ってもらいテラスに立つ。
次のピッチはいささか気疲れした私にかわって青木がトップになる。ハーケンを打ち凹角を登るが、スラブの傾斜が強くなり行きづまる。右へ微妙なトラバースのあと、残置ハーケンで振子トラバースをして雪壁に逃げる。再び私がトップに立ち雪壁を左上する。雪壁は傾斜が弱くなり左へ横断し、45mで無雪期の大テラスに出ることができた。
夏の初登時はダイレクトにスラブを登り中央バンドに出たが、氷と雪がスラブをおおい簡単には登れそうにない。夏ルートからそれて雪壁をさらに左へ横断してルンゼ状の凹角に入る。氷のつまった凹角にピッケルとアイスハンマーをきかせて登る。垂直になった所で左壁にハーケンを打ち乗り越す。やがて凹角のどんづまり、中央バンドの左端に達する。
中央バンドは浮石が積み重なり夏ルートまでトラバースできないことがわかる。どうしよう、振子トラバースしか手がないようだ。このときだしぬけにあたりがうす暗くなる。もう迷っている間はない。この辺りにはビバークできる場所はない。止むを得ず大テラスまで退却だ。懸垂下降で雪壁に降り立ち、テラスを切り開きツェルトをかぶったときにはすでに真暗だった。今夜は確実な自己確保を取れないのでテラスからころげ落ちないよう注意しよう。
3月26日、今日も完登の目途がたたぬまま出発する。ただこの晴天が続いてくれることだけが望みだ。凹角のどんづまりまで登りなおし、ブッシュにザイルをかけて15m下から振子トラバースを始める。スラブから草付を横断してやっと夏ルートにもどることができた。
中央バンドからの取付は最初かぶりぎみのため白い枯木を使ってここを越える。小バンドへは左寄りに登るのだが、雪がベっとりついている。私はボルトを2本連打して、草付にピッケルとアイスハンマーの両ピックをぶちこんでダイレクトに小バンドにずり上がる。バンドからは垂壁をハーケンで越え、かなり強引なフリークライムで上部ハング帯基部の松の木テラスへ出る。荷上げをすませ二人そろったのは13時過ぎ、今日中にハング帯を抜けることは不可能だ。上には快適にビバークできるテラスはないだろう。時間は早いがここでビバークすることにする。私たちには休息が必要だし、明日は完登まちがいなしだ。
3月27日、目がさめると雪がしんしんと降っている。私たちのいる所はオーバーハングの直下なので、夜のうちから降り出したのに気付かなかったのだろう。下に見えるスラブ帯も白一色に変わっていた。時々頭上のオーバーハング先端から雪崩が滝のように落下している。しかし完登を目前にした私たちにとってこんなことは問題ではない。
上部大ハングは松の木から取りつき、正面の全体に大きくかぶったフェイスを登る。ボルトに導かれて15m直上すると4mほどの水平の天井だ。その入口と出口は半分しか入っていないアングルハーケンで、御世辞にも気持ちよいとはいえない。ハソグを抜けスラブに出ると30センチほど新雪が積もっている。雪をはらいのけながらハーケンを探し確保点に達する。荷上げ用ザイルは一度引き上げると再びそのザイルの末端をセカンドに渡すことが不可能なので、一個のザックは引き上げることができても、もう一つはセカンドがかついで登らねばならない。
次は垂壁をブッシュとハーケンで乗り越すと最後のオーバーハングが待ちかまえている。このハングは見た目より大きいが、大ハングを抜けた安心感からこのハングの存在をみくびっていたようだ。アイゼンを付け重荷をかついだまま登り出し、悪戦苦闘を強いられ、ハングの上に出た時は絶望的になってしまった。スラブの上に厚く降り積もった雪をはらいのけても、ホールドはおろか残置ボルトもない。夏はフリクションで簡単に越えたはずだが、ひとまずボルトで確保点を作りセカンドに登ってきてもらう。
空身になり最終ピッチに挑む。右のクラックにアイスハーケンを打つが3分の1しか入らない。そのハーケンの上に立ちボルトをうめる。そこからフリークライミングに移り、小垂壁を越えクラックぞいに直上する。スラブに積もった雪は不安定でいまにも流れそうだ。塹壕を掘るようにしてスラブにホールドを求める。進めば進むほど雪は深くなり腰までのラッセルになるが、終了点のブッシュまであと一息だ。
突然目の前の雪面が動き出した。雪崩だと思った瞬間、雪の猛威は私の体をいとも簡単にはじき飛ばしてしまった。雪崩とともにころがり落ちながら「青木さん、落ちた!」と何度も叫ぶ。そして確保している青木の直前まで来たとき、ザイルがピーンと張り私は止まった。無傷だとわかると、くやしさが先に立ち、すぐさま登りなおす。
荷上げに続いて青木も上がって来る。完登を喜ぶひまもなく、青木が安全な樹林帯に向かってルンゼ状の雪壁を横断して行く。20m横断して中間のリッジに立ったとき、またもや上部から雪崩が発生して二人の間を通過する。二人の間のザイルが引っぱられて引きずりこまれそうだ。さらに横断を続け40mで樹林帯へとどいた。続いて私も渡りきる。間一髪といった所で生きた心地がしない。
ここからは樹林帯の中を右へ右へと横断し、さらにルンゼを一本渡る。そこからやや下った所で、倒木の下の雪を掘り下げてビバーク。
3月28日、ビバーク地からしばらく下ってみて右稜の頭を行き過ぎたことに気付く。ルンゼを渡って戻ろうとしたとたん、雪面に亀裂が入りあわてて引き返す。仕方なく100mほど下で横断を試みる。無事ルンゼをわたることができ右稜の頭に出る。右稜を10回余りの懸垂下降の後、カラ沢に降り立った。
降雪で深くなった沢をラッセルしながら、何度も振り返って幕岩に視線を移す。あの壁に5日問も頑張っていたとは信じられない。多くのハーケン、ボルトも打たなければならなかった(確保用も含めてハーケン、ボルトそれぞれ12本使用)。私は自分なりに一生懸命やったつもりだが…。とにかくすでに終わってしまった。
(追記)このルート中、破損した固定ザイル、サングラスハング下の無記名の食糧は当方で回収させてもらいました。
(登攀倶楽部会員)
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