往年のクライマー(元登攀倶楽部の会員)によるブログです。
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黒部・奥鐘山西壁京都ルート登攀
黒部・奥鐘山西壁京都ルート登攀
「岳人」1977年2月号(356)より
大柳典生
1975年12月26日~1976年1月4日の記録から
〔はじめに〕
今年の冬は、僕にしては珍しく早々と計画的に3つの山行を順序立てていた。それは12月の甲斐駒ケ岳、正月の奥鐘山、そして2月の唐沢岳である。これらはすぺて《ふもとから頂上へ》、《少人数による》、《ワンプッシュ戦法で》ということを一番大切に考えて計画した。これがあたりまえのことなのかもしれないが、ともすれば安易な方へと流されがちになるものだ。もちろんこの方法が絶対的に正しいとか、すぺての山に通用するなどとは思っていない。ただ確実にいえることは、これが僕には最も適しており、好きだということだ。
12月中旬、3人パーティで大武川から赤石沢を忠実につめ、ダイヤモンドフランケA、Bから奥壁を登り、首尾よく甲斐駒ケ岳の頂上に立つことができた。12月末、計画どおり今度は二人だけで奥鐘山へ向かう。
パートナーは、岡本昇(登攀倶楽部・大阪)である。
〔記録〕
12月26日(雪) 宇奈月発9時。暗くて狭い、そして長い長いトンネルの単調な歩行にうんざりして、今日は鐘釣温泉までとする、15時。
27日(雪) 8時発。今日も雪はしんしんと降っているが、トンネル内のため行動は順調である。欅平に着き、さっそく用意して来た徒渉用の服と運動靴に履き替える。左右からの雪崩を警戒しながら黒部川をたどるのだが、河原はラッセルさせられるので、いさぎよく水の中を進み岩小屋着、14時半。
奥鐘山西壁はみごとなほど真っ白で、盛んに雪崩を落としている。正面壁はチリ雪崩程度でたいしたこともないが、紫岳会ルートの雪崩は大きく、そのあおりの雪が岩小屋の中にまで吹き込んで来る。ただし噂に聞いているブロックや氷柱が飛んで来ないだけましだといえる。
各ハング帯には、カーテンのように氷柱が下がり、持に最終ハング帯の大氷柱は突破不可能にも見える。それにしても、これぽど氷雪をまとっているとは思ってもいなかった。この威圧的な大岩壁の下に二人だけでいることがなんとも心細い。
べっとりと雪を付け、ハングからはツララが下がっている
28日(快晴) 対岸に渡るため、チロリアンブリッジ用の固定ロープを張り替えたりするのに時間を費やす。その作業中に清水RCCルートのスラブに降り積もった雪が、40m四方にわたって轟音とともに崩壊する。そして紫岳会ルートの雪崩がすぐ右に落下し、間にはさまれた二人をますます萎縮させる。京都ルートは大丈夫なのだろうか……。
11時前、今日のトップを受け持つ岡本がスノーシャワーを浴びながら登攀を開始する。雪壁から最初の小ハングを越してみたが、その上のボルトが抜かれており退却し、今度は右から登る。新雪をベットリとつけたスラブは予想以上に悪い。2ピッチ目も同様で、ルートファインディングに苦労させられる。
第一ハングの下に着きハンモックを吊る。半日しか行動していないが、初日から2ピッチのみ、この調子では先が思いやられる。いやそれ以上に正直いって、こんな所へ来てしまったことをちょっぴり後悔している。
第1ピッチ目の小ハング
小ハングを越えてスラブを登る
29日(晴れのち曇り) 今日のトップは僕である。トップは生身同然で、セカンドも比較的軽い。装備のほとんどは荷上げ用ザックに入れてあり、一ピッチごとに二人で引き上げることにしている。
3ピッチ日、第一ハングは問題なく越す。4ピッチ目、傾斜の強い人工登攀のスラブにも雪と氷がつき、残置ボルトを捜し出すのに手間取る。5ピッチ目の第ニハングも氷のハングと化している。その氷を砕き一本、一本ボルトを掘り出すのは非常に時間がかかる。
人工登攀主体の京都ルートなら、冬でも楽に登れるだろうと考えていたのは大きな間違いだった。アブミにぶらさがってピッケルを振り氷を落とすのは重労働で、その真下で確保している岡本にとっても、落ちて来る大量の氷片は落石といっしょである。あたりが暗くなるのと同時に6ビッチ目を終了して雪壁に出る。岡本はランプをつけて登って来る。
雪壁にテラスを切り、ツェルトを被ると、雪が降り出した。最初はチリ雪崩程度だったので安心していると、突然轟音がして一瞬にして二人とも押しつぶされる。しばらく背中の上を雪崩が通過して行くのを感しる。テラスを深く掘り下げていたので流されはしなかったが、それでも安心して寝る状態ではなかった。
第1ハングを登る
人工登攀のスラブを登る
30日(曇りのち風雪) 岡本トップで雪壁から三角岩に取りつく。上のフリーの部分が悪く、この7ピッチ目に半日を費やす。この頃、志合谷から4人パーティが下降して来て、今まで二人だけでなんとなく重苦しかった空気が急に明るくなる。
岡本は、一力月前に怪我をした足が調子悪いらしくトップを交代する。8ピッチ目は雪壁と氷壁で順調にザイルを伸ばす。9ピッチ目、右の垂壁にボルトが連打してあるが、夏の経験がない僕は、そのルートは近藤・高見ルートだと思い込み、間違って広島ルートの方へ行ってしまうところだった。京都ルートに戻り、夏と状態のかわらない垂壁を人工で登る。今日も岡本は夜間登攀となる。
第三ハングでのハンモックビバークは、快適だろうと思っていたのだが、強烈な横風でツェルトはめくれ上がり吹きさらしである。コンロに火をつけることもできず、行動食を食べただけで寝てしまう。
三角岩を登る
31日(晴れ)
第三ハングを越すと、またすぐにルートがわからなくなってしまう。限界的なフリーで登っていると、アイゼンのツァッケが雪の下のボルトを見つけたりする。
ここから見る最終ハングの氷柱群は絶望的な感じで、特に広島ルートと京都ルートはとても登れそうにない。岡本も足が痛むらしく元気がないので、退却を打診してみる。ところが彼にはその気は全然なく、そこまで行ってみなければわからないだろうと、逆にハッパをかけられる。結局、続いて僕がトップをするということで登攀を再開する。今日も志合谷を2パーティほど下降して来る。明日は賑やかになるだろう。
11ピッチ目は岩が露出しているが、ホールドが細かく一部は素手を出して登る。12ピッチ目はルート中最悪のピッチだった。第四ハング出口からいきなり氷壁登攀となる。残置ピトンは一本も発見できず、軟弱な氷をだましだまし、変則的なピオレトラクションで登る。何回か氷が割れて片足を滑らした時は、第四ハングを飛び越して落ちて行くのかと血の気が引く思いだった。
今日で連続三日間の夜間行動となり、13ピッチ目にかかる。第五ハング下のボルトはすべて20センチ近い厚さの氷の下で、一本、一本掘り出して登る。ハング基部から右の小テラスに振り子トラバースし、ボルトを打つてハンモックを吊る。ハンモックに横になった時は零時を過ぎていた。
第3ハングを登る
1976年1月1日(快晴)
夜間登攀の疲れや、下のスラブにたらしていたザイルが氷漬けになっていたりで、昼近くになってやっと出発する。間題の第五ハング出ロの大氷柱は、かかえきれない程の太さで、足で蹴ったりして叩き落とす。登攀不可能に見えた大氷柱もなんとかなりそうだ。氷柱と氷柱のすき間を広げて、溝状ハングの下にもぐり込む。直登は無理なので、氷柱の裏側を右にトラバースし、ピトンを一本打って再び外側に出、さらにトラバース。飛びつくようにしてブッシュをつかみ一気にはいあがる。続いて岡本も顔をほころばせながら登って来る。12時半、二入がブッシュ帯にそろい感無量である。
荷上げをすませた後、荷物の整理をする。まだ先の長いことを考えると、少しでも荷を軽くしたいので、不用となった荷上げ用ザック、七ミリザイル、ピトンなどをここに残す。
上部ブッシュ帯は、心配していたような技術的な問題はなく、ただしんどいだけだ。くさった雪にへきえきしながら、雪の上に出ている枝をつかみ、はいずるようにして一歩、一歩登る。ラッセルにあえぎながら6ピッチほど登っただろうか、二人ともフラフラになり、立ち木にハンモックを吊ってビバークする。
第5ハング下のハンモッグビバーク
第5ハングを登る
2日(曇り) 8時半出発。ここからはノーザイルで左へトラバースする。中央ルンゼを横切り、露岩を2ピッチで抜け岩稜に出る。夏は簡単な岩稜も、雪と氷が付くと結構悪くなり、右の氷結したルンゼを登る。頂上は間近いが、くさった雪にてこずり何度もラッセルを交代しながら登高を続ける。
14時半、ついに頂上を足下にする。夏はブッシュに囲まれて視界のきかない頂上だが、今は360度の展望だ。はるかに唐松岳を望むことができる。いずれの日か、この奥鐘から不帰や鹿島槍へとルートをつなぐ猛者が現れるだろう。その時もデポ、サポートなしだとしたら素晴らしい記録だ。まだひとつの山行が終わらないうちに、こんな話を二人はしていた。
頂上から北西尾根を1時間下降してビバーク。6日ぶりに大地に横になって寝られるのが無性にうれしい。
3日(晴れのち曇り) 8時発、北西尾根を忠実に下降し、名剣温泉のそばに降り立つ、12時。再び長いトンネルに入り鐘釣温泉まで下る。
4日(雨) 外は雨だが、例によってトンネル内は全天候で行動できる。今頃奥鐘を登っている他のパーティは、この雨の中でどうしているのだろうか。それにしても僕たちは、天候にはめぐまれていた。比較的低い気温で安定していたことが、大きな雪崩や落氷がなかった理由で、だからこそ長期間のねばりで成功することができたのだといえる。
暗いトンネルを宇奈月に向かって歩きながら、すでに思い出となった奥鐘の登攀、そして次に予定している2月の唐沢岳幕岩冬季単独ルート開拓と、あきることを知らない登攀欲に頭をめぐらせていた。
(登攀倶楽部・大阪)
「岳人」1977年2月号(356)より
大柳典生
1975年12月26日~1976年1月4日の記録から
〔はじめに〕
今年の冬は、僕にしては珍しく早々と計画的に3つの山行を順序立てていた。それは12月の甲斐駒ケ岳、正月の奥鐘山、そして2月の唐沢岳である。これらはすぺて《ふもとから頂上へ》、《少人数による》、《ワンプッシュ戦法で》ということを一番大切に考えて計画した。これがあたりまえのことなのかもしれないが、ともすれば安易な方へと流されがちになるものだ。もちろんこの方法が絶対的に正しいとか、すぺての山に通用するなどとは思っていない。ただ確実にいえることは、これが僕には最も適しており、好きだということだ。
12月中旬、3人パーティで大武川から赤石沢を忠実につめ、ダイヤモンドフランケA、Bから奥壁を登り、首尾よく甲斐駒ケ岳の頂上に立つことができた。12月末、計画どおり今度は二人だけで奥鐘山へ向かう。
パートナーは、岡本昇(登攀倶楽部・大阪)である。
〔記録〕
12月26日(雪) 宇奈月発9時。暗くて狭い、そして長い長いトンネルの単調な歩行にうんざりして、今日は鐘釣温泉までとする、15時。
27日(雪) 8時発。今日も雪はしんしんと降っているが、トンネル内のため行動は順調である。欅平に着き、さっそく用意して来た徒渉用の服と運動靴に履き替える。左右からの雪崩を警戒しながら黒部川をたどるのだが、河原はラッセルさせられるので、いさぎよく水の中を進み岩小屋着、14時半。
奥鐘山西壁はみごとなほど真っ白で、盛んに雪崩を落としている。正面壁はチリ雪崩程度でたいしたこともないが、紫岳会ルートの雪崩は大きく、そのあおりの雪が岩小屋の中にまで吹き込んで来る。ただし噂に聞いているブロックや氷柱が飛んで来ないだけましだといえる。
各ハング帯には、カーテンのように氷柱が下がり、持に最終ハング帯の大氷柱は突破不可能にも見える。それにしても、これぽど氷雪をまとっているとは思ってもいなかった。この威圧的な大岩壁の下に二人だけでいることがなんとも心細い。
べっとりと雪を付け、ハングからはツララが下がっている
28日(快晴) 対岸に渡るため、チロリアンブリッジ用の固定ロープを張り替えたりするのに時間を費やす。その作業中に清水RCCルートのスラブに降り積もった雪が、40m四方にわたって轟音とともに崩壊する。そして紫岳会ルートの雪崩がすぐ右に落下し、間にはさまれた二人をますます萎縮させる。京都ルートは大丈夫なのだろうか……。
11時前、今日のトップを受け持つ岡本がスノーシャワーを浴びながら登攀を開始する。雪壁から最初の小ハングを越してみたが、その上のボルトが抜かれており退却し、今度は右から登る。新雪をベットリとつけたスラブは予想以上に悪い。2ピッチ目も同様で、ルートファインディングに苦労させられる。
第一ハングの下に着きハンモックを吊る。半日しか行動していないが、初日から2ピッチのみ、この調子では先が思いやられる。いやそれ以上に正直いって、こんな所へ来てしまったことをちょっぴり後悔している。
第1ピッチ目の小ハング
小ハングを越えてスラブを登る
29日(晴れのち曇り) 今日のトップは僕である。トップは生身同然で、セカンドも比較的軽い。装備のほとんどは荷上げ用ザックに入れてあり、一ピッチごとに二人で引き上げることにしている。
3ピッチ日、第一ハングは問題なく越す。4ピッチ目、傾斜の強い人工登攀のスラブにも雪と氷がつき、残置ボルトを捜し出すのに手間取る。5ピッチ目の第ニハングも氷のハングと化している。その氷を砕き一本、一本ボルトを掘り出すのは非常に時間がかかる。
人工登攀主体の京都ルートなら、冬でも楽に登れるだろうと考えていたのは大きな間違いだった。アブミにぶらさがってピッケルを振り氷を落とすのは重労働で、その真下で確保している岡本にとっても、落ちて来る大量の氷片は落石といっしょである。あたりが暗くなるのと同時に6ビッチ目を終了して雪壁に出る。岡本はランプをつけて登って来る。
雪壁にテラスを切り、ツェルトを被ると、雪が降り出した。最初はチリ雪崩程度だったので安心していると、突然轟音がして一瞬にして二人とも押しつぶされる。しばらく背中の上を雪崩が通過して行くのを感しる。テラスを深く掘り下げていたので流されはしなかったが、それでも安心して寝る状態ではなかった。
第1ハングを登る
人工登攀のスラブを登る
30日(曇りのち風雪) 岡本トップで雪壁から三角岩に取りつく。上のフリーの部分が悪く、この7ピッチ目に半日を費やす。この頃、志合谷から4人パーティが下降して来て、今まで二人だけでなんとなく重苦しかった空気が急に明るくなる。
岡本は、一力月前に怪我をした足が調子悪いらしくトップを交代する。8ピッチ目は雪壁と氷壁で順調にザイルを伸ばす。9ピッチ目、右の垂壁にボルトが連打してあるが、夏の経験がない僕は、そのルートは近藤・高見ルートだと思い込み、間違って広島ルートの方へ行ってしまうところだった。京都ルートに戻り、夏と状態のかわらない垂壁を人工で登る。今日も岡本は夜間登攀となる。
第三ハングでのハンモックビバークは、快適だろうと思っていたのだが、強烈な横風でツェルトはめくれ上がり吹きさらしである。コンロに火をつけることもできず、行動食を食べただけで寝てしまう。
三角岩を登る
31日(晴れ)
第三ハングを越すと、またすぐにルートがわからなくなってしまう。限界的なフリーで登っていると、アイゼンのツァッケが雪の下のボルトを見つけたりする。
ここから見る最終ハングの氷柱群は絶望的な感じで、特に広島ルートと京都ルートはとても登れそうにない。岡本も足が痛むらしく元気がないので、退却を打診してみる。ところが彼にはその気は全然なく、そこまで行ってみなければわからないだろうと、逆にハッパをかけられる。結局、続いて僕がトップをするということで登攀を再開する。今日も志合谷を2パーティほど下降して来る。明日は賑やかになるだろう。
11ピッチ目は岩が露出しているが、ホールドが細かく一部は素手を出して登る。12ピッチ目はルート中最悪のピッチだった。第四ハング出口からいきなり氷壁登攀となる。残置ピトンは一本も発見できず、軟弱な氷をだましだまし、変則的なピオレトラクションで登る。何回か氷が割れて片足を滑らした時は、第四ハングを飛び越して落ちて行くのかと血の気が引く思いだった。
今日で連続三日間の夜間行動となり、13ピッチ目にかかる。第五ハング下のボルトはすべて20センチ近い厚さの氷の下で、一本、一本掘り出して登る。ハング基部から右の小テラスに振り子トラバースし、ボルトを打つてハンモックを吊る。ハンモックに横になった時は零時を過ぎていた。
第3ハングを登る
1976年1月1日(快晴)
夜間登攀の疲れや、下のスラブにたらしていたザイルが氷漬けになっていたりで、昼近くになってやっと出発する。間題の第五ハング出ロの大氷柱は、かかえきれない程の太さで、足で蹴ったりして叩き落とす。登攀不可能に見えた大氷柱もなんとかなりそうだ。氷柱と氷柱のすき間を広げて、溝状ハングの下にもぐり込む。直登は無理なので、氷柱の裏側を右にトラバースし、ピトンを一本打って再び外側に出、さらにトラバース。飛びつくようにしてブッシュをつかみ一気にはいあがる。続いて岡本も顔をほころばせながら登って来る。12時半、二入がブッシュ帯にそろい感無量である。
荷上げをすませた後、荷物の整理をする。まだ先の長いことを考えると、少しでも荷を軽くしたいので、不用となった荷上げ用ザック、七ミリザイル、ピトンなどをここに残す。
上部ブッシュ帯は、心配していたような技術的な問題はなく、ただしんどいだけだ。くさった雪にへきえきしながら、雪の上に出ている枝をつかみ、はいずるようにして一歩、一歩登る。ラッセルにあえぎながら6ピッチほど登っただろうか、二人ともフラフラになり、立ち木にハンモックを吊ってビバークする。
第5ハング下のハンモッグビバーク
第5ハングを登る
2日(曇り) 8時半出発。ここからはノーザイルで左へトラバースする。中央ルンゼを横切り、露岩を2ピッチで抜け岩稜に出る。夏は簡単な岩稜も、雪と氷が付くと結構悪くなり、右の氷結したルンゼを登る。頂上は間近いが、くさった雪にてこずり何度もラッセルを交代しながら登高を続ける。
14時半、ついに頂上を足下にする。夏はブッシュに囲まれて視界のきかない頂上だが、今は360度の展望だ。はるかに唐松岳を望むことができる。いずれの日か、この奥鐘から不帰や鹿島槍へとルートをつなぐ猛者が現れるだろう。その時もデポ、サポートなしだとしたら素晴らしい記録だ。まだひとつの山行が終わらないうちに、こんな話を二人はしていた。
頂上から北西尾根を1時間下降してビバーク。6日ぶりに大地に横になって寝られるのが無性にうれしい。
3日(晴れのち曇り) 8時発、北西尾根を忠実に下降し、名剣温泉のそばに降り立つ、12時。再び長いトンネルに入り鐘釣温泉まで下る。
4日(雨) 外は雨だが、例によってトンネル内は全天候で行動できる。今頃奥鐘を登っている他のパーティは、この雨の中でどうしているのだろうか。それにしても僕たちは、天候にはめぐまれていた。比較的低い気温で安定していたことが、大きな雪崩や落氷がなかった理由で、だからこそ長期間のねばりで成功することができたのだといえる。
暗いトンネルを宇奈月に向かって歩きながら、すでに思い出となった奥鐘の登攀、そして次に予定している2月の唐沢岳幕岩冬季単独ルート開拓と、あきることを知らない登攀欲に頭をめぐらせていた。
(登攀倶楽部・大阪)
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by touhanclub
| 2016-01-16 00:28
| 大柳典生の部屋
唐沢岳幕岩正面壁大ハング直上ルート登攀
「岳人」1975年3月号より
積雪期初登記録
唐沢岳幕岩正面壁大ハング直上ルート登攀
1974年3月21日~28日
大柳典生
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1972年夏この直上ルートを開拓したとき、当初の目標は上部岩壁を二段ハングから抜けるというものであった。しかし日数の都合から二段ハングよりやや小さな右手のハング帯を登る結果になってしまった。そのため73年秋再び二段ハングヘ向かったが、私の大墜落によってザイルを破損してしまい、登攀をあきらめねばならなかった。
そして今回の計画は6人が3組に分かれ、静岡登攀クラブルート、山嶺登高会ルート、登攀倶楽部ルート(直上ルート)をそれぞれ登攀し中央パンドで合流した後、全員で二段ハングの直登ルートを完成させる予定であった。壁に取りついた結果は静岡ルート、山嶺ルートの2組は中央パンドに到らないうちに敗退、また直上ルート組の私たちも中央パンドまでまる3日間を費やし、二段ハングのルート開拓はおろか、直上ルートを登るのが精一杯という状況だった。
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厳しい試練を克服
◇パーティ=青木寿、大柳典生
3月21日、小雪の降る中を高瀬川ぞいの道からカラ沢に入り、軽いラッセルを続けて岩壁基部の大洞穴に入る。翌日は風雪のため停滞。
3月23日、すこし寝坊し登攀準備をととのえたときはかなり遅くなっていた。6人がそれぞれのルートヘむかう。直上ルートの1ピッチ目、私たちは本来なら登攀倶楽部ルートに取りつくぺきだが、清水RCCルートと登攀倶楽部ルートの中間に、どこかのパーティによって作られたらしい新ルートに取りつくことにする。というのは私たちのルートはハーケンが多く使用されているうえに、そのハーケン間隔が非常に遠い。それに比ぺこの新ルートはすぺてがボルトで、一定間隔のため登りやすそうに見えたからだ。とにかく3本のうちどのルートを登っても異なるのは1ピッチだけで、2ピッチ目からは3ルートとも合流してしまう。
私(大柳)は空身になり、アイゼンを付けないで登り始める。一歩目からアブミに足を乗せると早くも体は宙を泳ぎ、2つ、3つとボルトに乗り移っていくに従って、壁から体が順次離れていく。そんな調子で20m登ると今度は逆に下りとなる。つまりオーバーハングの天井がたれ下っていて、壁の傾斜が180度以上あることになる。気の狂ったような個所を数m進むとやっとオーバーハングの出口に到達する。出口のハーケンは遠く、苦労して越えたあと、垂壁を10m登りスタンスに立つ。セカンドを上げる前に2人のザックを上げなければならない。これが各ピッチごとに繰り返されるのかと思うと気が滅入る。結局この1ピッチに4時間以上を費やしてしまう。
次のピッチはスラブにボルトが連打されていて単調な人工登攀から、途中小ハングを越し25mで第一ハングに突き当たる。オーバーハングの下はキノコ雪状のものができていて、それを切り崩しボルトを探し出す。
第一ハングは張り出しが約1m半でたいしたことはないが、その上の第一スラブ帯は氷雪をまといかなりの悪相になっていた。よく見ると驚いたことに、10m上からサングラスハングまで固定ザイルが張られている。冬に誰かが登ったのだろうか。
まもなく日が暮れるため今日はここまでにし、第一ハングにザイルを固定してハング直下のボルトテラスまで下る。明るいうちにビバーク態勢に入る。コンロを乗せるキノコ雪のテラスもあり、ブラノコでのビバークとしては最高だ。
3月24日、雪が降っているが行動を起こし、昨日の固定ザイルを使ってオーバーハングを乗り越す。ハングの上に出るとチリ雪崩をまともにかぶるようになり、スラプ帯のフリークライミングはきびしいものとなる。固定ザイルの所まで行けばなんとかなるだろうと思い、必死の思いでこの10mを勝ち取る。そして固定ザイルの末端を掴んだが、信用できるかどうか、試しに引っ張ってみる。そしてゆっくりと体重をかけてみる、大丈夫だ。そうと決まれば遠慮会釈なくザイルを掴み、アイゼンをガリガリいわせながら強引に登っていく。40m登り、サングラスハング左下のブッシュに到達する。夏はここにテラスがあるが今はただの雪壁になっている。固定ザイルはここからサングラスハングを避けて、左手のブッシュからサングラスハングの左目と右目の間にあるルンゼヘ続いているようだ。
静岡ルートの2人が下降準備をしているのが見える。天候も悪いし、ルートがわからないため下降するとのこと。山嶺ルートパーティの姿は見えないがどうしたのだろうか。おそらく彼らのルートが一番悪いコンディションだろう。
私たちは先に進むことにする。固定ザイルと分かれ雪壁を右上すると、サングラスハングの基部にそって幅2m、長さ10mほどの平な雪のテラスができている。このテラスのおかげでハング帯のボルトが3本ほど省略できる。このルートにも冬の利点がひとつはあったことになる。サングラスハングをボルトにぶらさがって登ると、広大な第ニスラブ帯があらわれる。ハングの出口から確保点のボルトまでは5mある。ここは夏でもスラブにフリクションをきかせて登る6級のフリークライミングであるが、アイゼンを付けた足では一歩も踏み出すことができない。しかたがない、6級をA1にすることにうしろめたさを感じながらもボルトを2本打ち加えて確保点に達する。
次のピッチも同様で登り出すとすぐにつまってしまい、ボルトの助けを借りなければならない。そのボルトを支点に左へ振りこむが、またすぐに行きづまってしまう。結局この日は6ピッチ目を15mほど登っただけで、サンクラスハソグ下の雪のテラスヘ下る。
こんな調子ではとうてい完登できそうにない。ルート開拓は中止、そして明日天候が悪くてもすぐ退却できるようにサングラスハングにザイルは固定しないことにする。私にはこの壁を登る資格があるのだろうか。先駆者がフリーで登った所にボルトを打たねば登れないなんて、たとえそれが夏とは異なるコンディションであったとしても、自分の未熟を認めて引き下がるべきなのか。そんな考えが私の頭をよぎる。
3月25日、快晴だ。アイゼンをはずし素手になって再びスラブに挑む。昨日の最高到達点を越えバンドに出る。ここから雪が出てきてかえって悪くなるが、アイゼンはザックと一緒に下にあるのでそのまま進む。このあたりはハーケンが打てるので助かる。テラスに出る手前でザイルがいっぱいとなってしまい、セカンドに少し登ってもらいテラスに立つ。
次のピッチはいささか気疲れした私にかわって青木がトップになる。ハーケンを打ち凹角を登るが、スラブの傾斜が強くなり行きづまる。右へ微妙なトラバースのあと、残置ハーケンで振子トラバースをして雪壁に逃げる。再び私がトップに立ち雪壁を左上する。雪壁は傾斜が弱くなり左へ横断し、45mで無雪期の大テラスに出ることができた。
夏の初登時はダイレクトにスラブを登り中央バンドに出たが、氷と雪がスラブをおおい簡単には登れそうにない。夏ルートからそれて雪壁をさらに左へ横断してルンゼ状の凹角に入る。氷のつまった凹角にピッケルとアイスハンマーをきかせて登る。垂直になった所で左壁にハーケンを打ち乗り越す。やがて凹角のどんづまり、中央バンドの左端に達する。
中央バンドは浮石が積み重なり夏ルートまでトラバースできないことがわかる。どうしよう、振子トラバースしか手がないようだ。このときだしぬけにあたりがうす暗くなる。もう迷っている間はない。この辺りにはビバークできる場所はない。止むを得ず大テラスまで退却だ。懸垂下降で雪壁に降り立ち、テラスを切り開きツェルトをかぶったときにはすでに真暗だった。今夜は確実な自己確保を取れないのでテラスからころげ落ちないよう注意しよう。
3月26日、今日も完登の目途がたたぬまま出発する。ただこの晴天が続いてくれることだけが望みだ。凹角のどんづまりまで登りなおし、ブッシュにザイルをかけて15m下から振子トラバースを始める。スラブから草付を横断してやっと夏ルートにもどることができた。
中央バンドからの取付は最初かぶりぎみのため白い枯木を使ってここを越える。小バンドへは左寄りに登るのだが、雪がベっとりついている。私はボルトを2本連打して、草付にピッケルとアイスハンマーの両ピックをぶちこんでダイレクトに小バンドにずり上がる。バンドからは垂壁をハーケンで越え、かなり強引なフリークライムで上部ハング帯基部の松の木テラスへ出る。荷上げをすませ二人そろったのは13時過ぎ、今日中にハング帯を抜けることは不可能だ。上には快適にビバークできるテラスはないだろう。時間は早いがここでビバークすることにする。私たちには休息が必要だし、明日は完登まちがいなしだ。
3月27日、目がさめると雪がしんしんと降っている。私たちのいる所はオーバーハングの直下なので、夜のうちから降り出したのに気付かなかったのだろう。下に見えるスラブ帯も白一色に変わっていた。時々頭上のオーバーハング先端から雪崩が滝のように落下している。しかし完登を目前にした私たちにとってこんなことは問題ではない。
上部大ハングは松の木から取りつき、正面の全体に大きくかぶったフェイスを登る。ボルトに導かれて15m直上すると4mほどの水平の天井だ。その入口と出口は半分しか入っていないアングルハーケンで、御世辞にも気持ちよいとはいえない。ハソグを抜けスラブに出ると30センチほど新雪が積もっている。雪をはらいのけながらハーケンを探し確保点に達する。荷上げ用ザイルは一度引き上げると再びそのザイルの末端をセカンドに渡すことが不可能なので、一個のザックは引き上げることができても、もう一つはセカンドがかついで登らねばならない。
次は垂壁をブッシュとハーケンで乗り越すと最後のオーバーハングが待ちかまえている。このハングは見た目より大きいが、大ハングを抜けた安心感からこのハングの存在をみくびっていたようだ。アイゼンを付け重荷をかついだまま登り出し、悪戦苦闘を強いられ、ハングの上に出た時は絶望的になってしまった。スラブの上に厚く降り積もった雪をはらいのけても、ホールドはおろか残置ボルトもない。夏はフリクションで簡単に越えたはずだが、ひとまずボルトで確保点を作りセカンドに登ってきてもらう。
空身になり最終ピッチに挑む。右のクラックにアイスハーケンを打つが3分の1しか入らない。そのハーケンの上に立ちボルトをうめる。そこからフリークライミングに移り、小垂壁を越えクラックぞいに直上する。スラブに積もった雪は不安定でいまにも流れそうだ。塹壕を掘るようにしてスラブにホールドを求める。進めば進むほど雪は深くなり腰までのラッセルになるが、終了点のブッシュまであと一息だ。
突然目の前の雪面が動き出した。雪崩だと思った瞬間、雪の猛威は私の体をいとも簡単にはじき飛ばしてしまった。雪崩とともにころがり落ちながら「青木さん、落ちた!」と何度も叫ぶ。そして確保している青木の直前まで来たとき、ザイルがピーンと張り私は止まった。無傷だとわかると、くやしさが先に立ち、すぐさま登りなおす。
荷上げに続いて青木も上がって来る。完登を喜ぶひまもなく、青木が安全な樹林帯に向かってルンゼ状の雪壁を横断して行く。20m横断して中間のリッジに立ったとき、またもや上部から雪崩が発生して二人の間を通過する。二人の間のザイルが引っぱられて引きずりこまれそうだ。さらに横断を続け40mで樹林帯へとどいた。続いて私も渡りきる。間一髪といった所で生きた心地がしない。
ここからは樹林帯の中を右へ右へと横断し、さらにルンゼを一本渡る。そこからやや下った所で、倒木の下の雪を掘り下げてビバーク。
3月28日、ビバーク地からしばらく下ってみて右稜の頭を行き過ぎたことに気付く。ルンゼを渡って戻ろうとしたとたん、雪面に亀裂が入りあわてて引き返す。仕方なく100mほど下で横断を試みる。無事ルンゼをわたることができ右稜の頭に出る。右稜を10回余りの懸垂下降の後、カラ沢に降り立った。
降雪で深くなった沢をラッセルしながら、何度も振り返って幕岩に視線を移す。あの壁に5日問も頑張っていたとは信じられない。多くのハーケン、ボルトも打たなければならなかった(確保用も含めてハーケン、ボルトそれぞれ12本使用)。私は自分なりに一生懸命やったつもりだが…。とにかくすでに終わってしまった。
(追記)このルート中、破損した固定ザイル、サングラスハング下の無記名の食糧は当方で回収させてもらいました。
(登攀倶楽部会員)
積雪期初登記録
唐沢岳幕岩正面壁大ハング直上ルート登攀
1974年3月21日~28日
大柳典生
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1972年夏この直上ルートを開拓したとき、当初の目標は上部岩壁を二段ハングから抜けるというものであった。しかし日数の都合から二段ハングよりやや小さな右手のハング帯を登る結果になってしまった。そのため73年秋再び二段ハングヘ向かったが、私の大墜落によってザイルを破損してしまい、登攀をあきらめねばならなかった。
そして今回の計画は6人が3組に分かれ、静岡登攀クラブルート、山嶺登高会ルート、登攀倶楽部ルート(直上ルート)をそれぞれ登攀し中央パンドで合流した後、全員で二段ハングの直登ルートを完成させる予定であった。壁に取りついた結果は静岡ルート、山嶺ルートの2組は中央パンドに到らないうちに敗退、また直上ルート組の私たちも中央パンドまでまる3日間を費やし、二段ハングのルート開拓はおろか、直上ルートを登るのが精一杯という状況だった。
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厳しい試練を克服
◇パーティ=青木寿、大柳典生
3月21日、小雪の降る中を高瀬川ぞいの道からカラ沢に入り、軽いラッセルを続けて岩壁基部の大洞穴に入る。翌日は風雪のため停滞。
3月23日、すこし寝坊し登攀準備をととのえたときはかなり遅くなっていた。6人がそれぞれのルートヘむかう。直上ルートの1ピッチ目、私たちは本来なら登攀倶楽部ルートに取りつくぺきだが、清水RCCルートと登攀倶楽部ルートの中間に、どこかのパーティによって作られたらしい新ルートに取りつくことにする。というのは私たちのルートはハーケンが多く使用されているうえに、そのハーケン間隔が非常に遠い。それに比ぺこの新ルートはすぺてがボルトで、一定間隔のため登りやすそうに見えたからだ。とにかく3本のうちどのルートを登っても異なるのは1ピッチだけで、2ピッチ目からは3ルートとも合流してしまう。
私(大柳)は空身になり、アイゼンを付けないで登り始める。一歩目からアブミに足を乗せると早くも体は宙を泳ぎ、2つ、3つとボルトに乗り移っていくに従って、壁から体が順次離れていく。そんな調子で20m登ると今度は逆に下りとなる。つまりオーバーハングの天井がたれ下っていて、壁の傾斜が180度以上あることになる。気の狂ったような個所を数m進むとやっとオーバーハングの出口に到達する。出口のハーケンは遠く、苦労して越えたあと、垂壁を10m登りスタンスに立つ。セカンドを上げる前に2人のザックを上げなければならない。これが各ピッチごとに繰り返されるのかと思うと気が滅入る。結局この1ピッチに4時間以上を費やしてしまう。
次のピッチはスラブにボルトが連打されていて単調な人工登攀から、途中小ハングを越し25mで第一ハングに突き当たる。オーバーハングの下はキノコ雪状のものができていて、それを切り崩しボルトを探し出す。
第一ハングは張り出しが約1m半でたいしたことはないが、その上の第一スラブ帯は氷雪をまといかなりの悪相になっていた。よく見ると驚いたことに、10m上からサングラスハングまで固定ザイルが張られている。冬に誰かが登ったのだろうか。
まもなく日が暮れるため今日はここまでにし、第一ハングにザイルを固定してハング直下のボルトテラスまで下る。明るいうちにビバーク態勢に入る。コンロを乗せるキノコ雪のテラスもあり、ブラノコでのビバークとしては最高だ。
3月24日、雪が降っているが行動を起こし、昨日の固定ザイルを使ってオーバーハングを乗り越す。ハングの上に出るとチリ雪崩をまともにかぶるようになり、スラプ帯のフリークライミングはきびしいものとなる。固定ザイルの所まで行けばなんとかなるだろうと思い、必死の思いでこの10mを勝ち取る。そして固定ザイルの末端を掴んだが、信用できるかどうか、試しに引っ張ってみる。そしてゆっくりと体重をかけてみる、大丈夫だ。そうと決まれば遠慮会釈なくザイルを掴み、アイゼンをガリガリいわせながら強引に登っていく。40m登り、サングラスハング左下のブッシュに到達する。夏はここにテラスがあるが今はただの雪壁になっている。固定ザイルはここからサングラスハングを避けて、左手のブッシュからサングラスハングの左目と右目の間にあるルンゼヘ続いているようだ。
静岡ルートの2人が下降準備をしているのが見える。天候も悪いし、ルートがわからないため下降するとのこと。山嶺ルートパーティの姿は見えないがどうしたのだろうか。おそらく彼らのルートが一番悪いコンディションだろう。
私たちは先に進むことにする。固定ザイルと分かれ雪壁を右上すると、サングラスハングの基部にそって幅2m、長さ10mほどの平な雪のテラスができている。このテラスのおかげでハング帯のボルトが3本ほど省略できる。このルートにも冬の利点がひとつはあったことになる。サングラスハングをボルトにぶらさがって登ると、広大な第ニスラブ帯があらわれる。ハングの出口から確保点のボルトまでは5mある。ここは夏でもスラブにフリクションをきかせて登る6級のフリークライミングであるが、アイゼンを付けた足では一歩も踏み出すことができない。しかたがない、6級をA1にすることにうしろめたさを感じながらもボルトを2本打ち加えて確保点に達する。
次のピッチも同様で登り出すとすぐにつまってしまい、ボルトの助けを借りなければならない。そのボルトを支点に左へ振りこむが、またすぐに行きづまってしまう。結局この日は6ピッチ目を15mほど登っただけで、サンクラスハソグ下の雪のテラスヘ下る。
こんな調子ではとうてい完登できそうにない。ルート開拓は中止、そして明日天候が悪くてもすぐ退却できるようにサングラスハングにザイルは固定しないことにする。私にはこの壁を登る資格があるのだろうか。先駆者がフリーで登った所にボルトを打たねば登れないなんて、たとえそれが夏とは異なるコンディションであったとしても、自分の未熟を認めて引き下がるべきなのか。そんな考えが私の頭をよぎる。
3月25日、快晴だ。アイゼンをはずし素手になって再びスラブに挑む。昨日の最高到達点を越えバンドに出る。ここから雪が出てきてかえって悪くなるが、アイゼンはザックと一緒に下にあるのでそのまま進む。このあたりはハーケンが打てるので助かる。テラスに出る手前でザイルがいっぱいとなってしまい、セカンドに少し登ってもらいテラスに立つ。
次のピッチはいささか気疲れした私にかわって青木がトップになる。ハーケンを打ち凹角を登るが、スラブの傾斜が強くなり行きづまる。右へ微妙なトラバースのあと、残置ハーケンで振子トラバースをして雪壁に逃げる。再び私がトップに立ち雪壁を左上する。雪壁は傾斜が弱くなり左へ横断し、45mで無雪期の大テラスに出ることができた。
夏の初登時はダイレクトにスラブを登り中央バンドに出たが、氷と雪がスラブをおおい簡単には登れそうにない。夏ルートからそれて雪壁をさらに左へ横断してルンゼ状の凹角に入る。氷のつまった凹角にピッケルとアイスハンマーをきかせて登る。垂直になった所で左壁にハーケンを打ち乗り越す。やがて凹角のどんづまり、中央バンドの左端に達する。
中央バンドは浮石が積み重なり夏ルートまでトラバースできないことがわかる。どうしよう、振子トラバースしか手がないようだ。このときだしぬけにあたりがうす暗くなる。もう迷っている間はない。この辺りにはビバークできる場所はない。止むを得ず大テラスまで退却だ。懸垂下降で雪壁に降り立ち、テラスを切り開きツェルトをかぶったときにはすでに真暗だった。今夜は確実な自己確保を取れないのでテラスからころげ落ちないよう注意しよう。
3月26日、今日も完登の目途がたたぬまま出発する。ただこの晴天が続いてくれることだけが望みだ。凹角のどんづまりまで登りなおし、ブッシュにザイルをかけて15m下から振子トラバースを始める。スラブから草付を横断してやっと夏ルートにもどることができた。
中央バンドからの取付は最初かぶりぎみのため白い枯木を使ってここを越える。小バンドへは左寄りに登るのだが、雪がベっとりついている。私はボルトを2本連打して、草付にピッケルとアイスハンマーの両ピックをぶちこんでダイレクトに小バンドにずり上がる。バンドからは垂壁をハーケンで越え、かなり強引なフリークライムで上部ハング帯基部の松の木テラスへ出る。荷上げをすませ二人そろったのは13時過ぎ、今日中にハング帯を抜けることは不可能だ。上には快適にビバークできるテラスはないだろう。時間は早いがここでビバークすることにする。私たちには休息が必要だし、明日は完登まちがいなしだ。
3月27日、目がさめると雪がしんしんと降っている。私たちのいる所はオーバーハングの直下なので、夜のうちから降り出したのに気付かなかったのだろう。下に見えるスラブ帯も白一色に変わっていた。時々頭上のオーバーハング先端から雪崩が滝のように落下している。しかし完登を目前にした私たちにとってこんなことは問題ではない。
上部大ハングは松の木から取りつき、正面の全体に大きくかぶったフェイスを登る。ボルトに導かれて15m直上すると4mほどの水平の天井だ。その入口と出口は半分しか入っていないアングルハーケンで、御世辞にも気持ちよいとはいえない。ハソグを抜けスラブに出ると30センチほど新雪が積もっている。雪をはらいのけながらハーケンを探し確保点に達する。荷上げ用ザイルは一度引き上げると再びそのザイルの末端をセカンドに渡すことが不可能なので、一個のザックは引き上げることができても、もう一つはセカンドがかついで登らねばならない。
次は垂壁をブッシュとハーケンで乗り越すと最後のオーバーハングが待ちかまえている。このハングは見た目より大きいが、大ハングを抜けた安心感からこのハングの存在をみくびっていたようだ。アイゼンを付け重荷をかついだまま登り出し、悪戦苦闘を強いられ、ハングの上に出た時は絶望的になってしまった。スラブの上に厚く降り積もった雪をはらいのけても、ホールドはおろか残置ボルトもない。夏はフリクションで簡単に越えたはずだが、ひとまずボルトで確保点を作りセカンドに登ってきてもらう。
空身になり最終ピッチに挑む。右のクラックにアイスハーケンを打つが3分の1しか入らない。そのハーケンの上に立ちボルトをうめる。そこからフリークライミングに移り、小垂壁を越えクラックぞいに直上する。スラブに積もった雪は不安定でいまにも流れそうだ。塹壕を掘るようにしてスラブにホールドを求める。進めば進むほど雪は深くなり腰までのラッセルになるが、終了点のブッシュまであと一息だ。
突然目の前の雪面が動き出した。雪崩だと思った瞬間、雪の猛威は私の体をいとも簡単にはじき飛ばしてしまった。雪崩とともにころがり落ちながら「青木さん、落ちた!」と何度も叫ぶ。そして確保している青木の直前まで来たとき、ザイルがピーンと張り私は止まった。無傷だとわかると、くやしさが先に立ち、すぐさま登りなおす。
荷上げに続いて青木も上がって来る。完登を喜ぶひまもなく、青木が安全な樹林帯に向かってルンゼ状の雪壁を横断して行く。20m横断して中間のリッジに立ったとき、またもや上部から雪崩が発生して二人の間を通過する。二人の間のザイルが引っぱられて引きずりこまれそうだ。さらに横断を続け40mで樹林帯へとどいた。続いて私も渡りきる。間一髪といった所で生きた心地がしない。
ここからは樹林帯の中を右へ右へと横断し、さらにルンゼを一本渡る。そこからやや下った所で、倒木の下の雪を掘り下げてビバーク。
3月28日、ビバーク地からしばらく下ってみて右稜の頭を行き過ぎたことに気付く。ルンゼを渡って戻ろうとしたとたん、雪面に亀裂が入りあわてて引き返す。仕方なく100mほど下で横断を試みる。無事ルンゼをわたることができ右稜の頭に出る。右稜を10回余りの懸垂下降の後、カラ沢に降り立った。
降雪で深くなった沢をラッセルしながら、何度も振り返って幕岩に視線を移す。あの壁に5日問も頑張っていたとは信じられない。多くのハーケン、ボルトも打たなければならなかった(確保用も含めてハーケン、ボルトそれぞれ12本使用)。私は自分なりに一生懸命やったつもりだが…。とにかくすでに終わってしまった。
(追記)このルート中、破損した固定ザイル、サングラスハング下の無記名の食糧は当方で回収させてもらいました。
(登攀倶楽部会員)
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by touhanclub
| 2016-01-15 00:45
| 大柳典生の部屋
後立山・不帰二峯東壁三角形岩壁・関西クライマースクラブルート(KCCルート)
(「岳人」361号(1977年7月)記録速報より)
★後立山・不帰二峯東壁三角形岩壁・関西クライマースクラブルート(KCCルート)
1977年3月19~26日◇登攀倶楽部◇パーティ=渡辺悦男(京都)、大柳典生(大阪)
下部三角形岩壁は、72年10月開拓のKCCルート。上部三角形は、76年8月のKCC第2ルートで、両ルートとも、冬季初登と思われるが、過去3回の敗退を重ね、4度目にしてやっと完登できたものである。
19日、曇り。八方尾根丸山までとする。
20日、晴れ。大量のデブリで埋まった唐松沢を横断し、独標ルンゼからKCCルートに取り付く、10時。2P、ハング下の大キノコ雪は、鋸で穴をあける。次の半ピッチにザイルを固定し、キノコ雪上でビバーク、16時半。
21日、晴れ、8時発。三段テラスはキノコ雪のため、右から大きく巻く。5P、核心部のハング帯を抜けると暗くなる。スラブ帯の堅雪壁をランプをつけて2P登り、大キノコ雪上でビバーク、19時半。
22日、曇り、9時発。20米の下降で夏ルートにもどり、最後の壁を抜け、9P目で雪稜に出る。雪稜を馬乗りになって、3Pで甲南のコルへ着く3時半。使用ピトンは登攀用9、確保用4、ボルトは登攀用1、確保用4。
23日、雪、停滞。
24日、風雪。甲南ルンゼを雪崩を発生させながら下降。約2時間で取付き点を捜すが、発見できない。これ以上ルンゼにいるのも危険なため、あきらめて独標ルートから取りつく、8時半。3P目の垂壁からKCCルートに入る。岩質悪く、ピトンは利いていない。5P、キノコ雪が重なり、鋸を使用する。6P、雪稜に出てキノコ雪上でビバーク、17時半。使用ピトンは登攀用3、確保用1、ボルトは登攀用3(うち2本は回収)、確保用1。両ルートともピトンはすべて回収。
25日、風雪、9時半発。雪崩の危険があり、アンザイレンしたまま腰以上のラッセル、主稜線着、正午。ルートに迷いながら唐松山荘へ15時着。
26日、風雪、八方尾根を下る。
★後立山・不帰二峯東壁三角形岩壁・関西クライマースクラブルート(KCCルート)
1977年3月19~26日◇登攀倶楽部◇パーティ=渡辺悦男(京都)、大柳典生(大阪)
下部三角形岩壁は、72年10月開拓のKCCルート。上部三角形は、76年8月のKCC第2ルートで、両ルートとも、冬季初登と思われるが、過去3回の敗退を重ね、4度目にしてやっと完登できたものである。
19日、曇り。八方尾根丸山までとする。
20日、晴れ。大量のデブリで埋まった唐松沢を横断し、独標ルンゼからKCCルートに取り付く、10時。2P、ハング下の大キノコ雪は、鋸で穴をあける。次の半ピッチにザイルを固定し、キノコ雪上でビバーク、16時半。
21日、晴れ、8時発。三段テラスはキノコ雪のため、右から大きく巻く。5P、核心部のハング帯を抜けると暗くなる。スラブ帯の堅雪壁をランプをつけて2P登り、大キノコ雪上でビバーク、19時半。
22日、曇り、9時発。20米の下降で夏ルートにもどり、最後の壁を抜け、9P目で雪稜に出る。雪稜を馬乗りになって、3Pで甲南のコルへ着く3時半。使用ピトンは登攀用9、確保用4、ボルトは登攀用1、確保用4。
23日、雪、停滞。
24日、風雪。甲南ルンゼを雪崩を発生させながら下降。約2時間で取付き点を捜すが、発見できない。これ以上ルンゼにいるのも危険なため、あきらめて独標ルートから取りつく、8時半。3P目の垂壁からKCCルートに入る。岩質悪く、ピトンは利いていない。5P、キノコ雪が重なり、鋸を使用する。6P、雪稜に出てキノコ雪上でビバーク、17時半。使用ピトンは登攀用3、確保用1、ボルトは登攀用3(うち2本は回収)、確保用1。両ルートともピトンはすべて回収。
25日、風雪、9時半発。雪崩の危険があり、アンザイレンしたまま腰以上のラッセル、主稜線着、正午。ルートに迷いながら唐松山荘へ15時着。
26日、風雪、八方尾根を下る。
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| 2016-01-14 01:04
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赤沢山針峯槍沢側正面壁東京RCCルート-奥壁-槍ケ岳北鎌尾根
★赤沢山針峯槍沢側正面壁東京RCCルート-奥壁-槍ケ岳北鎌尾根
1976年12月4日~14日◇パーティ=吉松香代子、大柳典生(登攀倶楽部)
6日、槍沢ロッジ発5時。前日のトレールを使い取付に7時半。鵬翔ルートに取りつき、2P雪壁を右に横断して大凹角に入る。大凹角は岩の露出している滝状の部分が悪い。6P目に大凹角を左に出て不明瞭なバンドを横断する。7、8Pと雪壁を登り、9Pカンテからバンド状テラスに着く。テラス前後のスラブはホールドは細かいが雪を付けていなかったので楽。右に横断し11PでP2の肩に出る。もろいリッジを登りP2の頭でビバーク、17時半。ルート中に打ったピトンは確保用に3本。
12月初旬なので、ほとんど雪を付けていないが、東京RCCルートは雪の着いたルンゼ部分が多い。
7日、9時発。奥壁のコルから右斜上し奥壁に入る。奥壁は雪壁とやさしい岩場を選んで登り、使用ピトンは確保用に2本。赤沢山頂上着12時。西岳小屋着14時。まもなく雪となり以後ここで3日間の停滞をする。
11日、8時半発。東鎌尾根はラッセルに苦労し大槍ヒュッテまでしか進めず、軒下に半雪洞を掘る。
東鎌尾根を行く
12日、槍ケ岳頂上着10時半。北鎌尾根はクラストしており快適に下りP8てビバーク、16時。
槍が岳頂上
13日、7時半発。これより再ぴラッセルて苦しめられることとなり千天出合まで下る、15時。
北鎌尾根を下る
14日、湯俣までラッセルさせられ4時間以上費やしてしまった。
(記・大柳典生)
1976年12月4日~14日◇パーティ=吉松香代子、大柳典生(登攀倶楽部)
6日、槍沢ロッジ発5時。前日のトレールを使い取付に7時半。鵬翔ルートに取りつき、2P雪壁を右に横断して大凹角に入る。大凹角は岩の露出している滝状の部分が悪い。6P目に大凹角を左に出て不明瞭なバンドを横断する。7、8Pと雪壁を登り、9Pカンテからバンド状テラスに着く。テラス前後のスラブはホールドは細かいが雪を付けていなかったので楽。右に横断し11PでP2の肩に出る。もろいリッジを登りP2の頭でビバーク、17時半。ルート中に打ったピトンは確保用に3本。
12月初旬なので、ほとんど雪を付けていないが、東京RCCルートは雪の着いたルンゼ部分が多い。
7日、9時発。奥壁のコルから右斜上し奥壁に入る。奥壁は雪壁とやさしい岩場を選んで登り、使用ピトンは確保用に2本。赤沢山頂上着12時。西岳小屋着14時。まもなく雪となり以後ここで3日間の停滞をする。
11日、8時半発。東鎌尾根はラッセルに苦労し大槍ヒュッテまでしか進めず、軒下に半雪洞を掘る。
東鎌尾根を行く
12日、槍ケ岳頂上着10時半。北鎌尾根はクラストしており快適に下りP8てビバーク、16時。
槍が岳頂上
13日、7時半発。これより再ぴラッセルて苦しめられることとなり千天出合まで下る、15時。
北鎌尾根を下る
14日、湯俣までラッセルさせられ4時間以上費やしてしまった。
(記・大柳典生)
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| 2016-01-13 02:07
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穂高・屏風岩第ニルンゼ~中央カンテ下降~第一ルンゼ
★穂高・屏風岩第ニルンゼ~中央カンテ下降~第一ルンゼ
1975年1月2日~4日◇パーティ=木下誠(骨と皮)、大柳典生(登攀倶楽部)
2日、横尾発5時半。右岩壁下部の雪壁を登り展望台へ。好天なので右岩壁の計画を急遽変更してニルンゼに入る、9時。ルンゼの下部3分の2をしめる雪壁は状態よく、ノーザイルで高度をかせぐ。途中、残置ハーケンのある小滝も簡単に越す。チムニー状滝の下でアンザイレントップは空身で、狭いチムニーに詰まったきのこ雪を切り崩し残置ハーケンを掘り出す。人工で苦労しこのチムニーを抜けると雪壁になり洞穴内に入る。次は雪壁を登る。3P正面の壁は脆いので左の潅木まじりの雪壁を登る。40mで稜線に出る、13時。大休止の後中央カンテの下降開始15時。2PのクライムダウンでAフェイスの上に出る。そこから4回の懸垂をしてビバーク。
3日、さらに懸垂5回て基部の雪壁に降り立つ。横尾まで下る。
4日、中央力ンテを登ってきた寺井功(高稜会)と3人で一ルンゼに向かう。ビバーク用具は持たず3時半に横尾出発。一ルンゼに入り横断バンドのやや下でアンザイレン、6時。ヘッドランプの明りで雪壁を2P登る。次の核心部2Pもチムニー登りをすることもなく奥に詰まった氷を登る。氷雪壁はピックのカーブが有効で快適そのもの。最後のチムニーを越え屈曲点着7時半。ここからの雪壁はラッセルもあまりなく、ノーザイルてドンドン登る。上部に行くと日が当たり雪が腐り、岩峯の下で再ぴアンザイレンして雪壁を右に横断する。さらに潅木帯を1P登り稜線に出る、9時20分。最低コル経由で横尾着13時。両ルンゼとも絶好のコンディションにめぐまれ雪崩の不安なく快適な登攀を楽しめた。
(記・大柳典生)
屏風岩右岩壁
右岩壁直下
第2ルンゼを登る
チムニー状滝を越える
屏風岩中央カンテを下る
第1ルンゼ屈曲点を抜ける
第1ルンゼ上部を登る
第1ルンゼ最奥部の雪壁を登る
1975年1月2日~4日◇パーティ=木下誠(骨と皮)、大柳典生(登攀倶楽部)
2日、横尾発5時半。右岩壁下部の雪壁を登り展望台へ。好天なので右岩壁の計画を急遽変更してニルンゼに入る、9時。ルンゼの下部3分の2をしめる雪壁は状態よく、ノーザイルで高度をかせぐ。途中、残置ハーケンのある小滝も簡単に越す。チムニー状滝の下でアンザイレントップは空身で、狭いチムニーに詰まったきのこ雪を切り崩し残置ハーケンを掘り出す。人工で苦労しこのチムニーを抜けると雪壁になり洞穴内に入る。次は雪壁を登る。3P正面の壁は脆いので左の潅木まじりの雪壁を登る。40mで稜線に出る、13時。大休止の後中央カンテの下降開始15時。2PのクライムダウンでAフェイスの上に出る。そこから4回の懸垂をしてビバーク。
3日、さらに懸垂5回て基部の雪壁に降り立つ。横尾まで下る。
4日、中央力ンテを登ってきた寺井功(高稜会)と3人で一ルンゼに向かう。ビバーク用具は持たず3時半に横尾出発。一ルンゼに入り横断バンドのやや下でアンザイレン、6時。ヘッドランプの明りで雪壁を2P登る。次の核心部2Pもチムニー登りをすることもなく奥に詰まった氷を登る。氷雪壁はピックのカーブが有効で快適そのもの。最後のチムニーを越え屈曲点着7時半。ここからの雪壁はラッセルもあまりなく、ノーザイルてドンドン登る。上部に行くと日が当たり雪が腐り、岩峯の下で再ぴアンザイレンして雪壁を右に横断する。さらに潅木帯を1P登り稜線に出る、9時20分。最低コル経由で横尾着13時。両ルンゼとも絶好のコンディションにめぐまれ雪崩の不安なく快適な登攀を楽しめた。
(記・大柳典生)
屏風岩右岩壁
右岩壁直下
第2ルンゼを登る
チムニー状滝を越える
屏風岩中央カンテを下る
第1ルンゼ屈曲点を抜ける
第1ルンゼ上部を登る
第1ルンゼ最奥部の雪壁を登る
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by touhanclub
| 2016-01-12 17:14
| 大柳典生の部屋